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五色塚古墳
(ごしきづか)
神戸市垂水区五色山4-1-22
兵庫県下最大の前方後円墳で、墳丘の全長194m、後円部の高さ18.8mです。
4世紀後半ごろ、明石海峡とその周辺を支配していた豪族のお墓と考えられています。

   
 小壺古墳
(こつぼ)
神戸市垂水区五色山4-8-15
五色塚古墳のすぐ西側にあり、直径70m、高さ約8.5mの円墳で、古墳の裾と濠の大部分は周りの道路敷までひろがっています。
五色塚古墳と同じ、4世紀後半ごろと推定されています。  

   
 狩口台きつね塚古墳
(かりぐちだい)
神戸市垂水区狩口台7-5
明石海峡を見下ろす丘陵上に造られた直径24mの円墳です。
埋葬施設は全長9.5mの横穴式石室で、中に家形石棺が納められていました。遺物から、西暦580年頃に造られたことがわかります。 

   
 大歳山遺跡
神戸市垂水区西舞子4-22
古墳時代後期(6世紀)に造られた、全長約37mの前方後円墳です。
東側の丘陵最高所には、埋葬施設が竪穴式石室の可能性のある直径20mの円墳(大歳山1号墳)がありました。

   
 王塚古墳
神戸市西区王塚台3
明石川右岸の段丘上に造られた前方後円墳で、この付近では五色塚古墳に次ぐ大きさです。
第29代・欽明天皇の皇女舎人姫王(とねりのひめおおきみの墓に比定されています。 

   
播磨吉田遺跡
神戸市西区枝吉4-7-2
畿内で最も古い農耕村落の一つが営まれ、明石平野を農耕の大地に変えました。
後戦国時代に枝吉城を築城した際、この村落跡は破壊され、ほとんど消滅しました。

   
 幣塚古墳
(ぬさづか)
明石市魚住町清水1275-1
直径34m、高さ4mの円墳です。
出土した埴輪は神戸市五色塚古墳のものと特徴が一致しており、、4世紀後半に五色塚古墳の被葬者と深いかかわりを持った有力者が葬られた古墳と云われています。 

   
 愛宕塚古墳
(あたごづか)
加古郡播磨町北野添2-1<
印南野台地の最南端に位置し、古墳時代中期のもので、周濠をそなえた円墳です。
近年になって墳丘上に愛宕権現が祀られたことから、愛宕塚といわれるようになりました。 

      
 大中遺跡
(おおなか)
加古郡播磨町大中1-1-2
大中遺跡は印南野の大海原といわれる海抜15mほどの洪積台地の端にあって、東に喜瀬川が流れ南西部は肥沃な沖積平野(ちゅうせき)が広がっています。  

    
 正法寺古墳群
(しょうほうじ)
三木市別所町正法寺601
横穴式石室をもつ古墳群の一つで、美嚢川(みのかわ)や加古川を眼下に望む正法寺山頂から、西麓の段丘にかけて所在する古墳です。  

   
王塚古墳
小野市王子町
築造時期は古墳時代中期(5世紀中頃)と考えられています。
小野市域最大級の墳丘をもち、鉄製の武器武具を手に入れることができた有力者の墓と考えらています。 

   
 焼山古墳群
(やけやま)
小野市垂井町・二葉町
かつては200基以上の古墳が存在していましたが、第二次世界大戦後の農地開墾などにより、次々と失われました。
出土品から6世紀初めに築造がはじまり、7世紀初頭までの約100年にわたって古墳が造り続けられたことがわかります。

   
 黒石山古墳
(くろいしやま)
加東市河高355-20
 夕日ケ丘公園内には、11基の円墳で構成され、工業団地造成による3基が調査され、8期が公園内に保存されています。

   
 下ノ山古墳群
(しものやま)
加東市下滝野
五峰山の南山麓に広がる下滝野の高位段丘面上に点在する円墳で構成されています。
1号墳は、滝野町でも雄一の横穴式石室がほぼ完全な形で残っているものです。 

   
四ツ辻古墳群
(よつつじ)
加東市下滝野
1977年に播磨中央公園の造成中に発見されました。  

    
玉岡古墳
加西市玉丘町
全長109mの前方後円墳で県下6番目の規模を誇ります。
築造年代は4世紀末で、墳形や石棺の形状から、被葬者は大和王権に大きな貢献をした地方豪族と考えられます。  

   
皇塚古墳
(こうづか)
加西市上野町69
石部神社(いそべ)裏山の山頂にある皇塚古墳は、神社創建と同じ養老元年(717)頃に築かれ、第44代元正天皇皇女の墓とされています。 

   
 寺内古墳群
西脇市寺内519
寺内7号墳は、北端にある一番大きな古墳です。
副葬品は、須恵器や土師器の土器、鉄製の馬具、滑石製の白玉や子持勾玉などが出土し、飛鳥地域の古墳をまねて築かれた可能性があります。 

   
 下山古墳
(しもやま
西脇市日野町30
日野平野を見渡せる丘陵上に築かれた下山古墳は、もとは直径15m以上、高さ3m以上の古墳であったと考えられ、墳丘は失われましたが、石室は奇跡的に完存し、奈良県の石舞台古墳の縮小版を思わせています。

   
八日山古墳
(ようかやま)
西脇市下戸田626-8
八日山古墳(ようかやま)は、昭和31年7月18日、当八幡神社境内の拡張工事中に発見されたもので、今から約1,300年ほど前のものです。    

       
平荘湖古墳
(へいそうこ)
加古川市平荘町
平荘湖周辺には、もとは100基を超える加古川下流域最大の古墳時代後期の古墳群がありました。
夏に水位が下がると、石室が現れます。 

    
  人塚古墳
(西条古墳群)
加古川市西条山手2-1-21
加古川東岸の台地上に位置する行者塚古墳(ぎょうしゃづか)、人塚古墳(ひとづか)、尼塚古墳(あまづか)は、「西条古墳群」と呼ばれています。 

   
 壇場山古墳
(だんじょうざん)
姫路市御国野町国分寺
壇場山古墳は5世紀前半に築かれた前方後円墳です。 墳丘の全長は約143mで、県下第2位(現在は3位)、西播磨では最大規模を誇ります。  

    
 山之越古墳
(やまのこし)
姫路市御国野町国分寺
山之越古墳は、大正10年、壇場山古墳、第1.2古墳とともに、第3古墳として国史跡に指定されました。

   
見野古墳
(みの)
姫路市四郷町見野
一つの墳丘に2つの横穴式石室を持った「夫婦塚」、石室の巨石が露出している「姫路の石舞台」など、10数基から構成される古墳群です。  

   
宮山古墳
姫路市四郷町坂元406
5世紀後半、市川下流東岸にある標高33mの尾根に築かれた直径30mの円墳です。
埋葬施設が3基確認され、平行する2つの竪穴式石室の下にもう一つの竪穴室があることがわかりました。

   
木庭山古墳
(きにわやま)
姫路市木場
古墳の立地から考えると海に関わりの深い人であることが考えらます。
この古墳は、6世紀頃に築造されたものと考えられ、中国人類学会により発掘され、種々の副葬品が出たことを当時の新聞に奉じられています。

       
瓢古墳
(ひさご)
姫路市勝原区丁
揖保川下流の平地では最大規模の前方後円墳であり、墳丘全長は104mと考えられ、市内では檀場山古墳(御国野町)に次ぐ規模です。  

   
丁古墳
(よろ)
姫路市勝原区丁
このあたりの山の尾根から谷全体に「ひさご塚」をはじめとして90余りの古墳がありました。
ここ丁古墳公園内には、5基の古墳がもとのままに残されています。 

   
坂出遺跡
(さかで)
姫路市網干区731-6
坂出遺跡(旧 沼・高田遺跡)は、朝日中学周辺に広がる弥生時代の集落跡です。
周辺からは弥生時代前期(約2500年前)や後期(約1800年前)の土器が多数出土しています。

   
横山古墳
姫路市豊富町御蔭
横山の尾根上には、かつて8基の古墳の存在が知られていました。
姫路市の発掘調査では、前方後円墳1基、円墳7基および多くの埋蔵群が確認されました。 

  
宮の前古墳
姫路市香寺町須加院
須加院谷の北側の山麓に位置する古墳時代後期の古墳です。
須加院谷の北側の山麓に位置する古墳時代後期の古墳です。

   
片山古墳
姫路市香寺町土師
墳丘形態は前方後円墳で、全長30〜40mあり、その規模や発見された遺物により、古墳時代の5世紀末頃から6世紀中頃の間に築かれた古墳であると考えられています。

    
黒岡神社古墳
揖保郡太子町太田917
黒岡神社の境内にあり、古墳時代後期の円墳で、直径15m、高さ5.3m、横穴式石室です。
奈良時代、新羅軍を打ち破った藤原貞国の墓と云われています。   

   
市野保古墳群
(いちのほ)
たつの市新宮町市野保
市野保村北側の山麓から尾根にかけて、89基の古墳(市野保古墳群:83基、市野保裏山古墳群:6基)が発見され、西播磨地域では最大級の古墳群です。

    
 新宮宮内遺跡
(しんぐうみやうち)
たつの市新宮町新宮343
弥生時代中期を中心とする縄文から平安時代の複合遺跡です。
発掘調査で、竪穴住居が約60棟、溝、円形周溝墓(えんけいしゅうこうぼ)、方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)が見つかっています。 

  
 門前遺跡
(もんぜん)
たつの市揖保町門前寺
昭和44年、山陽新幹線の建設工事に伴い、発掘調査が行われ、埋没していた遺跡から、膨大な量の土器が出土し、門前遺跡と名付けられました。

  
 興塚古墳
(こしづか)
たつの市御津町黒崎
瀬戸内海を一望に収める丘陵台地に立地する古墳時代前期(4世紀〜5世紀)の前方後円墳です。
墳丘は全長約110mで、兵庫県下で5位の規模になっています。

   
 有年原・田中遺跡
(うねはら)
赤穂市有年原1090
有年原(うねはら)・田中遺跡は、千種川(ちぐさ)と矢野川との合流の北に位置します。
吉備と強いつながりをもちながら、有年原の地を中心として巨大な権力を誇っていたことが考えられます。

   
 雲部車塚古墳
(くもべくるまづか)
丹波篠山市東本荘782
5世紀初頭(古墳時代中期)に築造された前方後円墳です。
墳丘は全長140m、後円部径は80m、高さ12mで兵庫県で2番目の規模をもちます。

   
洞中古墳
(どうなか)
丹波篠山市曽地中
洞中古墳群のうち、1号墳と2号墳がよく残り、篠山盆地における横穴式石室をもつ代表的な古墳として、昭和43年に篠山町(現篠山市)の史跡に指定されました。 

   
 新宮古墳
(しんぐう)
丹波篠山市郡家117
古墳時代中期(5世紀)後半に築かれた円墳で、新宮神社の背後に位置し、墳丘の規模は直径約52.5m、高さ約7mであり、篠山盆地に築かれた円墳としては最大の規模を有します。

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