兵庫県神戸市須磨区須磨寺町4-6-8 | |
兵庫のお寺めぐり | |
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仁和2年(886)、光孝天皇の勅命により開祖聞鏡上人が先に和田岬海中より出現し給える聖観世音菩薩をこの地に祀り、上野山福祥寺(じょうやさん)を開き、通称須磨寺と呼ばれています。 寿永3年(1184)、源平の一の谷合戦で、須磨寺には源氏の大将・源義経の陣地があったと云われています。 |
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源平の庭 義経勢は崖を馬で駆け、逆落としの奇襲をかけると、ほとんどの平氏が海に逃れ、源氏の武将・熊谷直実(くまがい なおざね)が浜に着いた時、逃げ遅れた平家の武者と見つけました。 浜で十六歳の平敦盛と源氏の武将・熊谷直実の一騎打ちが行われます。 直実が若武者を馬から落とし、首を取ろうとした時、ちょうど我が子・直家ぐらいの少年であった。 直実は泣く泣くその首を取るのです。 |
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源義経御腰掛松 義経はこの木に腰掛け、少年の首検分をしました。 その首は、清盛の甥である平敦盛と分かります。 祖父・忠盛が鳥羽上皇から賜った笛「小枝(さえだ)」を帯びていました。 |
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敦盛首塚 敦盛を討った熊谷直実は、無常を感じ出家して蓮生と改め、菩提の為古戦場を訪ねると、敦盛の霊は草刈男の姿で現れてきます。 蓮生はひたすら回向を続け、夢の中に花やかな姿で現れた敦盛が、一門没落の運命の中にも、忘れかねる歓楽の日があった事や、戦いの有様を物語り、共に極楽往生のできることを喜びつつ消え去るのでした。 『現地案内&Wikipediaを参照』 |
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