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西国三十三所 | |||
四国八十八箇所 |
須磨寺 | ||
神戸市須磨区須磨寺町4-6-8 | ||
光孝天皇の勅命により開祖聞鏡上人が聖観世音菩薩をこの地に祀り、上野山福祥寺(じょうやさん)を開き、通称須磨寺と呼ばれています。 寿永3年(1184)、源平の一の谷合戦で、須磨寺には源義経の陣地を置きました。 |
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石峯寺 (しゃくぶじ) |
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神戸市北区淡河町神影110-1 | ||
白雉2年(651)、孝徳天皇の勅願によりインドの僧・法道仙人の開基と云われています。 石峯寺は南朝方の僧兵が籠もったお城と云われています。 |
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中山寺 | ||
宝塚市中山寺2丁目11-1 | ||
聖徳太子が建立した日本最初の観音霊場だそうで、観音に子授かりや、安産祈願の信仰が生まれたそうです。 西国三十三所の第24番札所です。 |
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清荒神清澄寺(きよしこうじんせいちょうじ) | ||
宝塚市米谷清シ1 | ||
平安時代の初め、宇多天皇の創意による理想の鎮護国家、すなわち諸国との善隣友好を深め、戦争のない平和社会、万民豊楽の世界を開く勅願時の一つとして創建されました。 | ||
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満願寺 | ||
川西市満願寺町7-1 | ||
奈良時代、聖武天皇の勅願により勝道上人が日本全国に「満願寺」を創建することになり、そのうちの摂津国満願寺です。 高野山真言宗の寺院で、本尊は開眼阿弥陀如来です。 |
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小童寺 (しょうどうじ) |
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川西市西畦野1丁目7-1 | ||
源賢僧都(源満仲公の三男幼名美女丸)が開山し、本尊は阿弥陀如来です。 幸寿丸の墓、渡辺綱公の御廟、頼光四天王の墓所があります。 |
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清水寺 | ||
加東市平木119 | ||
インドの僧・法道仙人は、今より1800年前・景行天皇の時に、中国、朝鮮を経て当山に止住され、鎮護国家豊作を祈願されました。 西国三十三所の第25番の札所です。 |
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朝光寺 | ||
加東市畑609 | ||
孝徳天皇白雉2年(651)に法道仙人の創立と云われ、もとは裏の権現山にありましたが、平安末期文治5年(1189)に現在地に移しました。 | ||
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光明寺 (こうみょじ) |
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加東市光明寺433 | ||
推古帝2年(594)、天竺から飛来した法道仙人の開祖と云われています。 観応2年(1351)2月、足利尊氏と直義の争いが表面化し、光明寺合戦が行われました。 |
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一乗寺 | ||
加西市坂本町821-17 | ||
法華山一乗寺(いちじょうじ)は、本尊を聖観音菩薩とした天台宗のお寺で、西国三十三所の26番札所となっています。 法華経の霊山という意味で「法華山」と号しました。 法道仙人が開山したと云われています。 |
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伽耶院 (がやいん) |
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三木市志染町大谷41 | ||
大化元年(645)、法道仙人を開基とし、孝徳天皇の勅願によって建立されました。 秀吉の三木城攻めの時、別所長治方の陣が置かれたことによる兵火で焼失します。 |
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浄土寺 | ||
小野市浄谷町2094 | ||
重源上人は源平合戦で焼失した東大寺復興の資金を得るため東大寺の荘園「大部荘(おおべのしょう」の開発に乗り出します。 その時、自らの信仰を道場とするため浄土寺を建立しました。 |
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広渡廃寺跡 (こうどはいじ) |
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小野市広渡町304-1 | ||
当遺跡は、加古川左岸段丘上に位置する古代寺院跡です。 出土遺物などから、7世紀後半頃には建立され、平安時代末期頃には絶えたことがわかっています。 |
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荘厳寺 (しょうごんじ) |
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西脇市黒田庄町黒田1589 | ||
当山は白雉年間(650〜)に天竺(インド)の僧・法道仙人の開基と云えられる観音霊場です。 当地、黒田は官兵衛の先祖である赤松庶流・黒田氏の根本地であり、黒田官兵衛の出生地です。 |
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長明寺 (ちょうめいじ) |
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西脇市高松町 | ||
孝徳天皇の御代に僧・法道(ほうどう)が、天竺(インド)より渡来して、古高松とも呼ばれた金城山の山中に開いたとされる古刹です。 源頼政の鵺退治の像があります。 |
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鶴林寺 | ||
加古川市加古川町北在家424 | ||
聖徳太子の草創と伝わる天台宗の寺院、播磨の法隆寺とも云われる古刹です。 | ||
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円照寺 (えんしょうじ) |
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加古川市志方町広尾1029 | ||
花の寺として知られ、3月から11月にかけてクリスマスローズ、ユキヤナギ、椿、ライラック、アジサイ、ノウゼンカズラ、酔芙蓉(すいふよう)などの花が咲き乱れます。 | ||
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十輪寺 | ||
高砂市高砂町横町1074 | ||
嵯峨帝弘仁6年(815)、弘法大師(空海)が中国へ渡航するに際し、海上安全を地蔵菩薩に祈願します。 元禄6年(1693)、中興24世律空悦道上人がに入山し再建しています。 |
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圓教寺 | ||
姫路市書写2968 | ||
圓教寺(えんぎょうじ)は、書写山にある天台宗の別格本山で西国三十三所の27番です。 平安時代の康保3年(966)、天台宗の僧・性空の創建と云われています。 |
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隋願寺 | ||
姫路市白国3-12-5 | ||
聖徳太子の命により、高麗僧・恵便(えべん)が開山し、のちに行基が中興したものです。 三十六坊もある大寺でしたが、天正元年(1573)別所長治に攻められ全山を焼失し、天正13年に秀吉が再興しました。 |
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播磨国分寺跡 | ||
姫路市御国野町国分寺 | ||
天平13年(741)、聖武天皇の詔により、国ごとに国分寺、尼寺の設置が決められました。 これは、仏法の加護により国家の平安を祈念したもので、播磨国分寺もその一つです。 |
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慶雲寺 | ||
姫路市野里慶雲寺前町10-1 | ||
臨済宗妙心寺派の寺院です。 お夏清十郎の「比翼塚」があります。 |
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溝口廃寺跡 (みぞぐちはいじ) |
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姫路市香寺町溝口 | ||
この廃寺の規模、由緒については、東西両塔をならべる薬師寺式の伽藍配置をもつものとする説があり、また聖徳太子関係のものとする縁起も伝えられていますが、今はすべて不明です。 | ||
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下太田廃寺 (しもおおだ) |
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姫路市勝原区91 | ||
下太田廃寺は、約1300年前に建立が始まった古代寺院です。 寺院は南から南門、塔、金堂、講堂が一直線に並ぶ、大阪市の四天王寺と同じ伽藍配置であることが分かりました。 |
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斑鳩寺 (いかるがでら) |
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揖保郡太子町鵤709 | ||
聖徳太子が推古天皇からこの地を賜り、鵤荘(いかるが)と名づけられ、一つの伽藍を営まれたのが当寺の始まりです。 | ||
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宝林寺 (ほうりんじ) |
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赤穂郡上郡町河野原279 | ||
宝林寺は、赤松円心の三男・則祐によって、雪村友梅(せっそんゆうばい)を開山として建立された寺院です。 赤松三尊像が安置されています。 |
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光明寺 (フクロウの寺) |
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佐用郡佐用町平福151 | ||
養老3年(719)、行基菩薩が開創され、播磨六地蔵のひとつと云われ、安産守護の子安大師、不老長寿の寿老尊をお祀りしています。 「ふくろうの寺」として有名な寺院で、「福をもたらす」と多くの方が参拝されます。 |
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石龕寺 (せきがんじ) |
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丹波市山南町岩屋2 | ||
用明天皇丁未(ひのとひつじ)の年(587)、聖徳太子が毘沙門天王を本尊として開かれた寺院です。 足利尊氏が弟・直義との争いに敗れ、播磨に逃れるとき、義詮を当寺に留めています。 |
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高源寺 (こうげんじ) |
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丹波市青垣町桧倉514 | ||
正中2年(1325)に遠谿祖雄(えんけいそゆう)禅師により開創され、もみじ(天目かえで)のお寺として有名です。 | ||
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大乗寺 (だいじょうじ) |
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美方郡香美町香住区森860 | ||
天平17年(745)、行基が聖観音を本尊として創建した高野山真言宗の寺院です。 江戸時代の画家・円山応挙(まるやまおうきょ)とその一門の襖絵があり、別名「応挙寺」とも呼ばれています。 |
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