隋願寺

兵庫県姫路市白国3-12-5
兵庫のお寺めぐり
   
聖徳太子の命により、高麗僧・恵便(えべん)が開山し、のちに行基が中興したものです。

寺伝によれば、はじめ法相宗であったが、承和元年(834)に天台宗となり、古今を通じて皇族・貴族・武士の信仰が厚くありました。

平安時代に諸堂が整備され、山上には三十六坊もある大寺でしたが、天正元年(1573)別所長治に攻められ全山を焼失し、天正13年に秀吉が再興しました。

奥の院 開山堂

隋願寺に現存する建造物で最古の建物です。

平面では仏壇の前を広げるために、四天柱の位置を後方へ間半分ずらしています。

承応3年(1654)の銘をもつ石燈籠が2基あり、開山堂もこのころに建てられたものと思われます。

榊原忠次の墓所

榊原家は徳川四天王の一つで、なかでも忠次公(1605−65)は、姫路藩主としての17年間に、隋願寺の再建をはじめ数々の治績をあげて名君と称されていました。

碑文は白河藩主から姫路藩主になるまでの経緯など、一代記が約3000文字に刻まれ、この文を一字の誤りもなう読むと、碑石の亀が動くと云われています。

実相院の墓所

実相院は、三十三代・姫路城主・榊原政邦の側室で、世子・政祐(三十四代姫路城主)の生母です。

婦人病に悩んだことから、同じ病気に苦しむ人を救いたいと遺言したことから、「しも」の病に霊験あらたかとして詣る人が多く、地元では「お姫さまの墓」と呼ばれています。

『現地案内を参照』

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