御陵にて

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初代 神武天皇   BC711-585
畝傍山東北陵  奈良県橿原市畝傍町
橿原神宮の北側にあります。
初代天皇の御陵です。

大吉備津彦命稜
岡山県岡山市北区吉備津
第7代・孝霊天皇と倭国香媛(やまとのくにかひめ)との間に生まれた皇子で四道将軍の1人です。
吉備の国へ派遣され、鬼退治をします。
桃太郎のモデルと云われています。

第9代 開化天皇  BC208-98 
春日率川坂上稜   奈良市今辻子町
孝元天皇が崩御された翌年、軽の境原宮から奈良盆地の北方にある春日の率川宮に都を移します。
孝元天皇の妃(伊香色謎命)を皇后との間に崇神天皇が生まれています。

播磨稲日大郎姫     -122
(はりまいなびのおおいらつめ)
兵庫県加古川市加古川町大野
播磨稲日大郎姫は、第12代・景行天皇の皇后です。
播磨風土記では、「印南別嬢(いなみのわきいらつめ)」と云われ、日本武尊(やまとたける)の母にあたります。

日本武尊白鳥稜  72-  
大阪府羽曳野市軽里3丁目
父は景行天皇、母は播磨稲日大郎姫だね。
父の命で西方の熊襲征伐をし、のち東方の蝦夷平定へ向かう途中、伊勢国の能褒野(のぼの)で崩じ、霊が白鳥となるのです。 

第14代 仲哀天皇  149-200 
惠我長野西陵  大阪府藤井寺市藤井寺
日本武尊の子で神功皇后の夫です。
熊襲を討つため、神功皇后とともに筑紫に行幸された時、まず新羅を討つべしという神の託宣(たくせん)にそむいたため、戦陣で没したそうです。 

第15代 応神天皇  200-310  
惠我藻伏崗陵  大阪府羽曳野市誉田
両親は仲哀天皇と神功皇后です。
「倭の五王」のうちの最初の王「讃」とも云われています。
御稜の前には誉田八幡宮が祀られ、本殿から御陵には放生橋(ほうじょう)が架けられています。
磐余若桜宮
難波大隅宮
軽島之明宮
軽島豊明宮

第16代 仁徳天皇  290-399 
百舌鳥耳原中陵  大阪府堺市堺区大仙町
応神天皇の第4皇子で、難波高津宮に宮を移します。
仁徳天皇陵を含め、世界遺産になったんだよね。
人がいっぱいになるよ。
難波高津宮(なにわのたかつのみや)

第18代 反正天皇   336-410
百舌鳥耳原北陵
  大阪府堺市堺区北三国ヶ丘町1
  
田出井山古墳とも呼ばれているよ。

また「倭の五王」のうちの珍とも云われています。(五王は、讃・珍・済・興・武)
丹比柴籬宮(たじひのしばかきのみや)

第22代 清寧天皇   444-484
河内坂門原陵  大阪府羽曳野市西浦
 雄略天の崩御後、異母兄弟の星川皇子が反乱を起こしたが、大連大伴室屋が平定し、清寧を即位させました。
播磨の億計(おけ)と弘計(おけ)を見つけ、億計を仁賢天皇として迎えました。
磐余甕栗宮(いわれのみかくりのみや )

第24代 仁賢天皇  449-498
埴生坂本陵  大阪府藤井寺市青山3丁目
 履中天皇の子・市辺押磐皇子(いちのへのおしはのみこ)の子です。
父が大泊瀬皇子(雄略天皇)に命を奪われると、弟の弘計王と共に兵庫県三木市志染の石室に隠れ住みます。
のち清寧天皇に迎えられ、即位しました。
石上広高宮(いそのかみのひろたかのみや)

第26代 継体天皇  450-531
三嶋藍野陵  大阪府茨木市太田3丁目10
第25代武烈天皇が後嗣を残さず崩御されたため、大伴氏や物部氏らにより、越前にいた男大迹王(をほどのおおきみ)を迎えられたのが継体天皇です。
福井県越前市の味真野神社は鞍谷御所跡と云われているよ。

樟葉宮
筒城宮
弟国宮
磐余玉穂宮(いわれのたまほのみや )

第27代 安閑天皇  466-536
高屋古市高屋丘陵  大阪府羽曳野市古市5丁目
 父・継体天皇と共に越前から出てこられました。
在位は4年、関東から九州まで沢山の屯倉を設置しました。

舎人姫王(とねりのひめおおきみ)
玉津稜墓参考地  兵庫県神戸市西区王塚台3
第29代・欽明天皇の皇女舎人姫王の墓に比定されています。

舎人姫王は、第31代・用明天皇の皇子・当麻皇子の妃となり、推古天皇11年(603)に当麻皇子が新羅将軍として出征に付き従い、その途中の播磨の赤石(明石)で亡くなり、明石の「檜笠岡の上」に葬られたと云われています。

山背大兄王の墓所  -643  
富郷陵墓参考地  奈良県生駒郡斑鳩町
山背大兄王(やましろのおおえのおお)は、聖徳太子の後継者として皇位継承をめぐって田村皇子(のちの舒明天皇)と争われました。
皇極2年(643)、斑鳩宮が蘇我入鹿の軍勢に攻められ、太子一族は滅びるのです。

長屋王御墓  684-729  
   奈良県生駒郡平群町梨本
長屋王は壬申の乱で活躍した高市皇子の長子で、天武天皇の孫にあたります。
神亀6年(729)、皇位継承にからんで、謀反の疑いで館を囲まれ、夫妻と4人の皇子が自殺に追い込まれます。
のち、藤原不比等の娘・光明子が皇后になられます。

第45代 聖武天皇  701-756 
佐保山南陵  奈良県奈良市法蓮町 
第45代聖武天皇の御陵です。
ここは佐保山南陵です。
東大寺を創建された天皇です。

第47代 淳仁天皇  733-765
淡路陵  兵庫県南あわじ市
天武天皇の皇子・舎人親王の七男です。
孝謙天皇から譲位を受けた淳仁天皇の時に、孝謙上皇と弓削道鏡が仲良くなります。
そこで軍事力で政権を奪取しようと、764年の恵美押勝の乱(藤原仲麻呂の乱)が起こるんだよ。
保良宮

当麻夫人
淳仁天皇の生母
  兵庫県南あわじ市北阿万筒井
淳仁天皇の母、つまり舎人親王の夫人で、舎人秦王妃大布陣山背淡路墓とも云われています。

恵美押勝の乱のとき、皇位を追われた淳仁天皇とともに淡路へ流されるんだね。

統子内親王
花園東陵  京都府京都市右京区花園寺ノ内町34-5
鳥羽天皇の第2皇女、母は藤原璋子(待賢門院)です。
異母兄弟に崇徳天皇、後白河天皇らがいます。
院号は上西門院(じょさいもんいん)。

第77代 後白河天皇  1127-1192
淡住寺陵  京都府京都市東山区三十三間堂廻り町 
鳥羽天皇の第四皇子、近衛天皇の急死により皇位を継ぎます。

平治の乱、治承・寿永の乱や二条天皇、平清盛、木曾義仲らと対立しました。

第95代 花園天皇  1297-1348
十樂院上陵  京都府京都市東山区粟田口三条坊町 
延慶元年(1308)、持明院統として即位します。
仁和寺の花園御所を寺に改めて妙心寺を開祖しました。

文保2年(1318)には、大覚寺統の尊治士親王すなわち後醍醐天皇に攘位します。

第96代 後醍醐天皇  1288-1339
塔尾陵  奈良県吉野郡吉野町大字吉野山字塔ノ尾  如意輪寺内
鎌倉幕府打倒に失敗し、隠岐に流され、脱出し挙兵して幕府を陥落させました。

建武の新政を始めるも足利尊氏らと対立、後醍醐天皇は吉野で朝廷を開いたのが南北朝時代の始まりです。
 

北朝初代 光巌天皇  1313-1364 
光巌天皇髪塔  京都府京都市右京区嵯峨天龍寺北造路町
南北朝時代の北朝初代天皇です。

後醍醐天皇の建武新政が崩壊し、吉野で南朝を開いた際、光巌天皇は北朝を開きました。

第98代 長慶天皇  1343-1394
嵯峨東陵  京都府京都市右京区嵯峨天龍寺角倉町6-14
南朝の第3代の天皇です。

大阪市の現住吉神社境内地の住吉行宮で践祚(せんそ)します。

南朝の勢力低下により、吉野、河内金剛寺、大和栄山寺と行宮しました。 

第108代 後水尾天皇  1596-1680
髪歯塚  京都府京都市上京区相国寺門前町
 大寺院相国寺境内にあります。

徳川家康の戦国から泰平の世に移る時代に即位された天皇です。

髪塔や髪爪塔は多くありますが、髪歯塚というのはここだけと云われています。

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