水堂陣屋

兵庫県尼崎市水堂町

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JR山陽本線「立花駅」を北側に下りて、線路沿いに西へ300mほど歩くと水堂陣屋(みずどう)があります。

「つづくシリーズ」は京都まで歩くけど、富松城から南へ2kmで足をひきずりたどり着いた。 まだまだこの辺りで探索が長引きそうだよ。

越水城瓦林城富松城水堂陣屋七松城 まで歩いたよ。
   
     
兵庫県の藩を「安志藩陣屋」のページに書いてるよ。 ここは尼崎藩で藩庁は尼崎城だったんだね。

ここは藩の代官所、かつては周囲に土塀や水堀があったらしい、西側の公園あたりが堀なのかな。

そして尼崎藩の歴代藩主は建部家・戸田家・青山家・松平(桜井家)だそうだよ、それで桜井神社があるのかな。
 
  
「水堂古墳」

陣屋から西北へ5分ぐらいの須佐男神社、奥に案内があるけど古墳はどこだったのかな。

ここは古墳時代前期の前方後円墳、昭和37年の発掘調査では木棺の中から人骨、両側に鉄の刀が2本、短剣、鉄槍、鏡や筒も発見されたらしいよ。

3世紀ぐらいの話、いったい誰だったんやろね。 その頃の日本ってどんな風景なのかな、この人が生きてたら昔の自慢話を聞いてみたいよね。
    
   
「水堂宝篋印塔」

陣屋のすぐ北の常春寺にあります。 14世紀の南北朝時代のものらしいよ。

水堂陣屋の前で「陣屋はどこですか」と聞いたけど、分からなかったみたい。 ここは「水堂代官屋敷」が正式名だったんだね。

ここから立花駅を南へ越えて、元気出して歩こ。

  つづく  
   

   
ここは、尼崎藩主青山幸成(5万石)の次男丹後守幸通が領地を統治するために設けた地方代官の役所跡です。

幸通の領地は寛永二十年(1643)に父幸成の遺言により、尼崎藩領の一部が次男・三男・四男にそれぞれ配分されたもので、幸通には三千石が与えられました。

領地はここ水堂をはじめ、潮江・次屋・浜などの尼崎市内のほか、西宮市域の下大市・樋口新田・久右衛門新田・中村など武庫川沿いの村や神戸市域の平野の小部分が含まれています。

またこの地の地方代官青田氏が代々勤めてきました。

屋敷は、明治・大正・昭和に行われた鉄道建設や道路整備によって、当初南を正面にしていた建物を西を正面に改築したり、建物全体を北側に移すなど度々の移転の後、平成元年12月に解体され、現在ではわずかに門だけが当時の面影を伝えています。

『現地案内を参照』

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