富松城

兵庫県尼崎市富松町

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阪急電車、「武庫之荘駅」で降ります。 北へ500mほどで県道606号線に出ると、500mぐらい東の「城跡前交差点」には富松城(とまつ)が目の前にあります。

「つづくシリーズ」は京都まで歩く、まだ武庫川を越えて尼崎市だよ。 大阪も遠いなぁ。

「つづくシリーズ」の1回目

越水城瓦林城富松城水堂陣屋七松城 まで歩いたよ。
   
    
丁度、交差点の一角にある、東西に道が造られ、将来どうなるのだろう。 と心配だよ。

平安時代、富松荘が置かれ薬師寺氏が荘園の管理をしていました。

この富松城は薬師寺氏の居館として構えらたと伝わっています。
 
  
ここは道沿い、一周したけど中は入れないからね。 高さ4m、幅10m、長さが南北47mの土塁、その周りに掘があるよ。

この地で細川氏の争いがあった、大阪・京都そして四国に行くと細川氏のことが少しづつ分かりそう。

なんとか、一つづつ歩いて細川氏や三好氏を分かっていきたいよ。
    
   
「武庫川の橋」

瓦林城の東にある武庫川の橋を渡る、富松城へはさらに東へ2.5kmぐらい、足が辛いよ。

橋の上から見た、河原で少年たちが野球の練習をしてる。 土手のダンボール滑り、連続飛びの石投げしたこと。

あの頃に戻りたいな、ほんと少年時代の頃に戻りたい。 まだ尼崎、少年の気持ちは大切だよ。 その気持ちで次のお城へと歩いてみたいね。

  つづく 
   

    
富松城は約500年前の室町〜戦国時代に築かれた城で、広さは方一町(約100m四方)と考えられています。

当時の城は、土塁・城柵・堀などをめぐらし、その地方の有力者(土豪)らの居館として構えられていたと思われます。

この説明版前方には城の土塁と堀の一部が残り、土塁は当城の西側と北側一部にあたり、樹木におおわれていますが、幅は1m、高さ約4mです。

富松城は伊丹城と尼崎・大物城(旧城)との中間に位置し、また西国街道筋の西宮の越水城、瓦林城とともに境界防衛や連絡用の城として攻防の要となっていました。

戦国時代以降幾多の戦火にみまわれています。 昭和38年に当城の北を横切る県道工事中、戦国時代の瓦や礎石らしきものが確認されています。

『現地案内を参照』

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