大堰の邸(おおいのやかた)

京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町
京都府の源氏物語

  
桂川の嵐山周辺を大堰川、その一帯を大堰と呼びます。

平安時代の初期からこの近辺は景勝地とされ、多くの皇族・貴族は好んでこの地を訪れ、船を浮かべるなどして詩歌管弦の遊びを行いました。

恒例となった五月の車折神社(くるまざき)の「三舟祭」は、大堰川での船遊びを再現したものです。

源氏物語の松風には明石上が母の尼君、娘とともに大堰に住む描写があります。


その場所が「大井(堰)川のわたりにありける」とあることから、この居所の推定地の一つとして、平安時代前期の桓武天皇の大堰離宮が挙げられます。

その近くには光源氏の御堂(現在の清涼寺:せいりょうじ)がありました。

発掘調査では、平安時代前期の遺物を伴う園池跡が見つかり、桓武天皇が度々行幸された大堰離宮跡である可能性が高いと云われています。

『現地案内を参照』

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