戊辰役砲弾貫通跡

京都府京都市伏見区納所北城堀町(妙教寺内)

京都府の幕末史跡3
  
戦国時代、秀吉が淀君のために準備した古淀城があった妙教寺で、境内の石碑には次のように刻まれています。

「淀古城址」
 此所は戦国時の始細川管領家が築城し薬師堂
 与一岩成左通淀君の居城となった淀古城の址である。

「戊辰役砲弾貫通跡」
 慶応四年正月四日戊辰役の際東軍砲弾の飛来で本堂を貫通したその弾痕がある。
  

慶応4年(1868)、旧幕府軍と新政府軍との間で鳥羽・伏見の戦いがあり、ここ妙教寺の上を両軍の砲弾が飛び交ったと云われています。

その内、重さ4キロの砲弾一発が本堂南側の壁と位牌壇を突き破り、北側の柱も貫通したのです。