戊辰役戦場跡

京都府京都市伏見区納所町71-28

京都府の幕末史跡3
 
戊辰戦争は、大政奉還後の旧幕府と新政府軍との戦いです。

旧幕府軍は、幕府陸軍、京都見廻組、会津藩、新選組、桑名藩などです。
新政府軍は、薩摩藩、長州藩、土佐藩などです。

1.1868年1月 「鳥羽・伏見の戦い」
2.1868年4月 「江戸城明け渡し」
3.1868年5月 「上野戦争」
4.1868年7月 「長岡城の戦い」
5.1868年9月 「会津の戦い」
6.1869年5月 「五稜郭の戦い」

 
戊辰戦争の初戦となった「鳥羽・伏見の戦い」は、上鳥羽(京都市南区)、下鳥羽(竹田・伏見)、橋本(京都府八幡町)で行われます。

慶応4年(1868)元日、旧幕府軍は「討薩表」を発し、京都に向け進軍、幕府歩兵隊、桑名藩兵、見回組は鳥羽街道を、会津藩、新選組は伏見市街を進み、本営は淀本宮に置かれました。

鳥羽街道を通行する旧幕府軍と、その通行を阻む薩摩軍が衝突、薩摩藩軍の大砲により旧幕府軍は下鳥羽方面に退却しました。

伏見では、旧幕府軍は旧伏見奉行所を本陣に、薩摩・長州藩兵は御香宮神社を中心とし、奉行所を包囲、薩摩藩が放った砲弾により奉行所は炎上、旧幕府分は退却しました。

その後の「淀の戦い」、「橋本の戦い」で新政府軍が優位になると、徳川慶喜らは大阪湾から軍艦で江戸へ退却するのです。

『Wikipediaより』