御陵衛士屯所跡

京都府京都市東山区下河原町536

京都府の幕末史跡3
  
「ごりょうえじとんしょあと」といいます。

ここ高台寺真院は、慶応3年(1867)6月から11月にかけて、熱烈な勤王主義者であり、孝明天皇の御陵衛士(天皇の墓の守護者)と称した伊東甲子太郎(かしたろう)ら15名が屯所とした寺院です。

彼らはこの寺院を本拠として活動していたため、「高台寺党」とも呼ばれています。

伊東は常陸(茨城県)の出身で学問優秀、剣は北辰一刀流の名手でした。

新選組に入隊し参謀となりましたが、やがて近藤勇や土方歳三らと意見を異にし、遂に慶応3年3月、新選組と袂を分かち、同志14名を連れて御陵衛士に任命され、ここを屯所としました。

この中には江戸の試衛館時代からの隊士、藤堂平助の姿もありました。

それ以降、薩摩藩の援助をうけ、雄藩(勢いの強い藩)をまわってさかんに勤王を説いています。

慶応3年11月18日、伊東は近藤勇から酒席の接待を受けた帰り、油小路木津屋橋で待ち伏せをしていた大石鍬次郎ら数名の新選組に謀殺されました。(油小路事件)

さらに伊東の遺体を引き取りに来た多くの同志も、新選組隊士によって斬られ、御陵衛士隊の活動は終止符を打ったのです。

『現地案内を参照』