坂本龍馬お龍「結婚式場」跡

京都府京都市東山区五軒町10

京都府の幕末史跡3
  
当地は青蓮院(しょうれんいん)の旧境内で、その塔頭金蔵寺跡(たっちゅうこんぞうじ)です。

元治元年(1864)8月初旬、本堂にて坂本龍馬と妻・お龍(鞆)は「内祝言」をあげました。

龍馬とお龍の出会いや「内祝言」の内容については、明治32年(1899)ごろに彼女の回想から聴き取られています。
  

一般には、慶応2年(1866)1月の伏見寺田屋遭難のあと、西郷隆盛(あるいは中岡慎太郎など)の媒酌で二人は夫婦の契りを結びました、しかしこの話には根拠が薄く、お龍の話の方を信用すべきと云われています。

この地が選ばれたのは、お龍の亡父・楢崎将作(しょうさく)が青蓮院宮に仕えた医師であったため、その縁で金蔵寺住職智息院が仲人をつとめました。

当時は池田屋事件や禁門の変の起きたあとで、京都は物情騒然し、しばらくして龍馬は薩摩島津家から望まれ、対立した長州毛利家との和解に奔走しました。

龍馬は新婚生活を楽しむいとまもなく、お龍を寺田屋などに託し、二人はながく別居夫婦だったそうです。

『現地案内を参照』