島 原

京都府京都市下京区

京都府の幕末史跡3
  
ここは街の東にある島原大門です。

秀吉が京都を再興するにあたり、二条柳馬場に柳町の花街を公許しましたが、後に六条坊門(現在の東本願寺の北側)に移され、六条三筋町として栄えました。

寛永18年(1641)、市街地の西に当たる当時の朱雀野に移り、名称は西新屋敷と呼びましたが、その急な移転が、九州島原の乱の直後であったため、島原と称されるようになりました。
  

ここは島原西門と住吉神社がある所だね。

島原は単に遊宴にとどまらず詩歌連俳等の文芸が盛んで活況を呈し、幕末には西郷隆盛、久坂玄瑞や新選組らが出入りしていたそうです。

嘉永4年(1851)、大火により島原のほとんどが焼失、街は寂れていくのです。

『現地案内を参照』