岡山県浅口市寄島町 | |
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岡山県の幕末史跡 | |
嘉永6年(1853)、攘夷論が盛んになると岡山藩でも海防の必要を認め、奉行岡本甚等をして外国軍艦の来襲に備え、沿岸各地に台場を造らせました。 その一つとして本町に造られたのが、青佐山台場で、台場で試射の時、砲弾は約三郎島(寄島)付近に達しただけであったと云われています。 青佐山(標高249m)の東中腹に、文久3年(1863)鴨方藩が海防のために築いた台場跡もあります。 |
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明治4年の廃藩置県とともに廃棄され、現在では土塁と砲門を据えたくぼ地のみが残されているだけです。 台場跡附近の展望台からは塩飽諸島、笠岡諸島の数々の多島美が楽しめるほか、鷲羽山から連なる瀬戸大橋がほぼ真横から遠望できます。 『現地案内を参照』 |
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