浅尾藩御台場跡

岡山県総社市門田

岡山県の幕末史跡
  
浅尾藩主 初代蒔田広定(まいた)は、慶長8年(1603)に、一万石の大名となり、総社の地を本拠としました。

元治元年(1864)、「蛤御門の変」において、蒔田広孝は京都見廻り役として、京都警護にあたり、長州勢を撃退します。
  
このことが遠因してか、慶長2年(1866)4月12日に、長州第二奇兵隊を脱走した立石孫一郎ら浪士百余名により、襲撃されました。

いわゆる「倉敷浅尾騒動」により、陣屋の大部分が焼失し、その後再建もされることなく、明治維新を迎えました。

『現地案内を参照』