山田方谷 寓居跡

岡山県高梁市頼久寺町

岡山県の幕末史跡
  
山田方谷は、幕末期の儒家、陽明学者、備中松山藩士で、備中松山藩の藩政改革を断行した人物です。

司馬遼太郎著『峠』の中では、安政6年(1859)、長岡藩牧野家の家臣・河合継之助が山田方谷(ほうこく)先生へ方へ入門されています。

高梁の備中松山城へは何度か訪れていましたが、街並みをゆっくり歩くのは初めて、武家屋敷やお寺、そして山田方谷のゆかりの地が楽しめます。
  

有終館跡(ゆうしゅうかん)です。

備中松山藩が藩士の子弟に文武を教えるために、板倉勝澄が藩主になって延享3年(1746)に学問所を造ったのが始まりです。

天保2年(1831)の火災により現在地に移り、山田方谷が学頭(校長)になっています。
    

 
山田方谷像が備中高梁駅のロータリにあるよ。

備中高梁城を3回訪れた時に街中も歩いた方がよかったね、まだまだ有りそうだけど、再び高梁の街に来ることがあるかな。

『現地案内を参照』