訳語田幸玉宮
(おさださちたまんみや)

奈良県桜井市戒重557

奈良県の古代史跡
  
第30代・敏達天皇が営んだ宮で、「扶桑略記」「帝王編年記」はともに、磐余訳語田宮とし、磐余の範囲内にあったことが確認できます。

訳語田幸玉宮の所在地については、従来、桜井市太田とする説と桜井市戒重とする2説がありました。

戒重村はかつて他田庄と呼ばれ、また戒重村の小字「和佐田(わさだ)」は明治以前「他田(おさだ)」で、この春日神社は古くから他田宮(長田宮)と称したことから、この地域が考えられます。
  

最初は百済大井宮を営んでいましたが、占いによりこの地に宮を移しています。

崇仏派の蘇我氏と廃仏派の物部氏が対立し、仏法を広めたせいで疫病が流行りだしたと物部氏から進言を受けた敏達天皇は、仏教を禁止したと云われています。

『現地案内とWikipediaを参照』