朝護孫子寺

奈良県生駒郡平群町信貴山2280-1

奈良県の古代史跡
  
大和国(奈良県)と河内国(大阪府)の境にそびえる生駒山地には、「ちょうごそんしじ」と言われ、また「信貴山の毘沙門さん」とも呼ばれるお寺があります。

蘇我馬子と物部守屋は仏法をめぐり対立すると、守屋は別業がある阿都(河内国)へ退きます。

用明天皇2年(587)、馬子は聖徳太子らと守屋を攻め滅ぼし、のち自ら刻んだ毘沙門天を本尊にし当寺を創建しました。
  

戦国時代、河内・山城の守護代である木沢長政により、山頂に信貴山城が築かれます。

天正5年(1577)には城主・松永久秀が信長に敗れ切腹、茶道具と共に爆発し世を去る話もありました。

『Wikipediaを参照』