難波宮

大阪府大阪市中央区法円坂

大阪府の古代史跡
 
難波宮は、「前期難波宮」「後期難波宮」の二つの時代があります。

飛鳥板蓋宮にて、中臣鎌足と中大兄皇子は蘇我入鹿の命を奪い、蝦夷を自害させました。(645年大化の改新)

大化の改新の後、軽皇子(かるのみこ)が三十六代・孝徳天皇に即位し、難波に遷都したのが、難波長柄豊碕宮(なにわながらのとよさきのみや)、つまり前期の難波宮です。
  

孝徳天皇を難波宮に残したまま、飛鳥に戻った皇祖母尊(皇極天皇)は、孝明天皇が没した後、斉明天皇元年(655)に飛鳥板蓋宮で即位し、斉明天皇となりました。

奈良時代の神亀3年(726)、当時の首都は平城京で第四十五代・聖武天皇が、この難波宮を「副都」として営まれたのが後期難波宮で、天平17年(745)、難波京から滋賀県の紫香楽宮(しがらきのみや)へ遷都が決まりました。

『参考文献を参照』