浄行寺
(楠木正秀の墓碑)

大阪府豊中市走井1丁目
大阪府の太平記史跡 
  
JR福知山線「伊丹駅」から北側の99号線を東へ、大阪国際空港の地下トンネルをくぐり抜けます。

そのまま東へ、阪神高速11号線の手前で千里川を渡ると、すぐ南側には浄行寺がありました。

   
楠木正秀は、楠木正成の三男・正儀(まさのり)の子と云われています。

ここ浄行寺は、楠木正秀が応永の乱で敗走した後、この地に逃れ、杉原氏のすすめで仏門に入り、浄信と名乗り浄行寺を開基したと云われています。

のち、楠木と杉原の名から、楠原と改めたそうです。
      
正秀のお墓だね、ここで応永の乱を少し。

守護大名の大内義弘は堺と博多を掌握して、明や朝鮮などと交易して巨富を蓄え、力を強めていくのを足利義満に警戒されました。

応永6年(1399)、義満は関東公方足利満兼と組んで、和泉で挙兵した大内義弘を敗死させるのです。

『参考文献を参照』
   

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