京都府 | 大阪府 | 兵庫県 | 奈良県 |
滋賀県 | 三重県 | 岡山県 | 広島県 |
鳥取県 | 島根県 | 富山県 | 石川県 |
福井県 |
楠公誕生地 | ||
大阪府南河内郡千早赤阪村水分266 | ||
楠木正成は永仁2年(1294)、この地に誕生したと云えられています。 |
||
|
||
葛井寺 (旗掛けの松) |
||
藤井市藤井寺1丁目16-21 | ||
正平2年(1347)、境内の松の樹に旗を掛け、父正成は正行、正時、正の三人の息子を呼び、秘策を練り十倍の細川顕氏(あきうじ)勢に大勝したという葛井寺合戦がありました。 その後、延元3年(1338)、7月2日義貞が越後国藤島で戦死したことを聞いた内侍は、悲しみのあまり琴が浜に身を投げたのです。 |
||
|
||
誉田林古戦場跡 (こんだばやし) |
||
羽曳野市誉田3-2-8 | ||
南北朝初期の正平年間には、北朝方の細川兄弟の軍と楠木正成の長子・楠木正行(まさつら)の間で合戦が行われました。 |
||
|
||
浄行寺 (楠木正秀の墓碑) |
||
豊中市走井1丁目 | ||
楠木正秀は、楠木正成の三男・正儀(まさのり)の子と云われています。 応永の乱で敗走した後、この地に逃れ、仏門に入り、浄信と名乗り浄行寺を開基したと云われています。 |
||
|
||
楠公父子訣別之所 (桜井駅跡) |
||
三島郡島本町桜井1丁目3 | ||
延元元年(1336)、足利尊氏の大軍を迎え撃つために京都を発した楠木正成が、桜井駅で長子の正行に遺訓を残して、河内へと引き返らせます。 | ||
|