本間精一郎遭難地
京都府京都市中京区下樵木町208
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  文久2年(1862)閏8月20日夜、勤王の志士・本間精一郎はここで襲われます。

精一郎は越後に生まれ、文武両道に秀で、弁舌も巧みで友人も多かったと云われています。

江戸に出て遊学し、安政の大獄の後、京の都に上って尊王攘夷活動に身を投じ、その活動は伏見「寺田屋事件」で封じられ、精一郎は酒色におぼれ、同士からも次第に嫌われるようになりました。
 
  この夜、先斗町三条の料亭で遊び、四条の料理屋を出た帰り道を精一郎は襲われました。

南側の路地を木屋町へ逃げようとしましたが、前から二人、後ろから六人にはさみ討ちにされ惨殺されるのです。

襲った八人の中には薩摩藩の田中新兵衛や土佐藩の岡田以蔵もいたと云われています。

『現地案内を参照』
    
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