薩摩藩邸(二本松屋敷)
京都府京都市上京区岡松町
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  日本が未曾有の大混乱に陥った幕末、文久2年(1862)9月、薩摩藩が相国寺から土地を借りうけ、京都に新たな藩邸を造営しました。

同志社大学今出川キャンパスの約三分の二を占める広大な敷地の藩邸が御所に近接して誕生しました。

そして、この場所は幕末京都において、薩摩藩の政治的な重要拠点となっていきました。
 
  大政奉還の後、戊辰戦争が勃発し、その直後に会津藩士山本覚馬(新島襄の妻・八重の兄)は捕らえられ、ここの藩邸に幽閉されました。

その折にまとめた建白(通称「菅見」)が京都の近代化の指針として後に影響を与えました。

明治時代になると、京の薩摩藩邸は京都府に接収、民間に売却されました。 そして人手を経て、新島襄が購入するのです。

『現地案内を参照』
    
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