清水谷家の椋
京都府京都市上京区京都御苑
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  この大きなムクの木は、このあたりが清水谷家という公家の屋敷であったことから「清水谷家の椋(しみずだにけのむく)」と呼ばれています。

樹齢は約三百年といわれ、苑内でも数少ないムクの大木です。
 
  元治元年(1864)、禁門の変の時、長州藩士で遊撃隊(長州尊皇攘夷派の一つ)の総督だった来島又兵衛が率いる先発隊は、天龍寺本陣から仁和寺街道を西へ入ります。

蛤御門から突入し、会津軍と戦闘、その後薩摩軍が参戦したことで、長州軍は敗退、来島又兵衛はこの椋の付近で討死したとも云われています。

『現地案内を参照』
    
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