原田亀太郎 誕生地
岡山県高梁市新町
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岡山県の幕末史跡1
原田亀太郎(1838−64)は、備中松山藩出身の幕末の勤王志士です。
当地(新町)で煙草商を営む原田市十郎の長男として生まれ、幼少から学問を好み、備中松山藩の進鴻渓(しんこうけい 1821−84)、倉敷の森田節斎(せっさい 1811−68)、大和の谷三山(さんざん 1802−68)のもとで学ぶなかで、尊王攘夷思想に傾倒していきました。
文久3年(1863)8月、天誅組の乱に合流し、大和で挙兵しましたが、敗退して捕らえられ、元治元年(1864)7月、京都堀川の獄舎で同志と処刑されるのです。
明治維新後、天皇に忠義を尽くした勤王の志士としてして名誉回復がなされました。
生前に同志社大学の創設者である新島襄(1843−90)と親交があり、明治13年(1880)に新島が高梁を訪れた際に、ここに立ち寄っているのです。
墓所は道源寺(高梁市和田町)にあります。
『現地案内を参照、地図は観光案内所の案内板より』
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