岡山県の幕末史跡
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No.
史 跡
名 称
一口メモ
所在地
1
滝善三郎正信君
義烈碑
滝善三郎正信は、ここ金川に生まれました。
摂津西宮の警備に就く際、外国人数名に隊列を横断され、槍で軽傷を負わせます。
その責任をとって、切腹となるのです。(神戸事件)
岡山市北区御津金川60
七曲神社
2
新往来(しんおうらい)
備前藩では長州征伐に赴く諸藩の藩士が、岡山城下を通行することを回避するため、一時的に山陽道の岡山城下の通過をやめ、その北方を迂回させていました。
岡山市東区藤井
3
浅尾藩御台場跡
「蛤御門の変」において、蒔田広孝は京都見廻り役として、長州勢を撃退します。
長州第二奇兵隊を脱走した立石孫一郎ら浪士百余名により、襲撃されました。(倉敷浅尾騒動)
総社市門田
4
山田方谷 寓居跡
山田方谷は、幕末期の儒家、陽明学者、備中松山藩士で、備中松山藩の藩政改革を断行した人物です。
高梁市頼久寺町
5
有終館跡
藩士の子弟に文武を教えるために、板倉勝澄が延享3年(1746)に学問所を造ったのが始まりです。
天保2年(1831)の火災により現在地に移り、山田方谷が学頭(校長)になりました。
高梁市中之町7
6
山田方谷像
山田方谷像が備中高梁駅のロータリにあるよ。
高梁市旭町1317-2
7
原田亀太郎 誕生地
原田亀太郎は、備中松山藩出身の幕末の勤王志士です。
文久3年(1863)天誅組の乱に合流し、大和で挙兵し、敗退して捕らえられ、元治元年(1864)、京都堀川の獄舎で同志と処刑されるのです。
高梁市新町
8
青佐山台場
嘉永6年(1853)、攘夷論が盛んになると岡山藩でも海防の必要を認め、奉行岡本甚等をして外国軍艦の来襲に備え、沿岸各地に台場を造らせました。
浅口市寄島町
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