二人の皇子
兵庫県三木市志染町
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ここは三木市を流れる川、読み方が分からなかった「志染川」、しじみと云います。

その水の流れが美しいので美嚢の郡(みなぎのこおり)」になりました。

飛鳥時代、 意奚(おけ)はのちの23代・顕宗天皇、袁奚(をけ)は24代・仁賢天皇です。

二人の皇子が隠れていたのが、「志染の石室」なんだね。
 
  履中天皇がお弁当を食べていると、貝のシジミが這い上がってきました。

ここから志染(しじみ)の地名となりました。
  
  履中天皇の皇子・市辺忍歯王はライバルの大長谷皇子に殺害されます。

二人の皇子が同じ目に合わないように、ここに身を隠していたのです。

この二人が根日女に求婚したのですが、そのラストシーンは加西市の玉丘古墳へとつながるのです。
  
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