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英賀神社 (あがじんじゃ) |
兵庫県姫路市飾磨区英賀宮町 |
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播磨風土記には、英賀の里に「伊和大神の子、阿賀比古と阿賀比売の二神」と記載があり、英賀の地名はこの2柱の神に因んだものなんだね。
本殿の裏には英賀城土塁跡の石碑、東へ回ると司馬遼太郎の「播磨灘物語」の石碑もある、黒田官兵衛が毛利勢と戦ったんだよね。
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713年に伊和大神の御子である英賀彦神・英賀姫神の二神は、祖神の命により当地を本拠として播磨灘沿岸地域を開拓創始し、庶民安堵の国土を修理固め成された総産土大神であります。
ゆえに古くから英賀国主大神として祀り、元慶5年(881)神位従五位下に昇叙され、国司武将を始め衆庶は、創業開発の神、縁結びの神と仰ぎ尊信の誠を捧げました。 |
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三木通近が英賀城主となり、領内発展の興隆にあたり、嘉吉3年(1443)天満天神・八幡大神・春日大神を勧請鎮祭して、領内の総氏神とあがめ、大いに治め功績をあげました。
また英賀御坊をはじめ多くの真宗寺院、商家や住宅が建てられ、交易の盛んな港のある城下町(四十九町・約九百軒)としておおいににぎわっていました。
天正8年(1580)、秀吉は英賀城攻略に際しても、特に当社に除火の令を出して敬神の誠を致しました。 |
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