越部里(こしべのさと)
兵庫県たつの市新宮町芝田27
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揖保川の西、JR姫新線が南北に走り、西へ曲がる手前、龍野北高校が見える西側724号線沿いには、越部里の石碑がありました。

 
  もとの名は皇子代里(みこしろ)と呼ばれ、土壌は中の中(普通)であった。

第27代・安閑天皇に気に入れられた但馬君小津(たじまのきみをつ:但馬の国造家出身の舎人)が皇子代君の姓を賜ります。

皇子代君はこの地に屯倉(大和朝廷の直轄地)を造り、天皇に仕えたと云われています。

国守の上野大夫(かみつけのまえつぎみ)が来た時に越部里と改めました。
  
  また但馬国の屯倉(現豊岡市三宅)より民が越して来たので、越部村と呼ばれたとも云われています。

最初、近くにある「輪袈裟(わけさ)の清水」の跡碑と思った、次に「宇宙への道標」の石碑、さすがに違うと思った。

古代山城の城山城、相も変わらず存在感が見てるよね。

『現地案内を参照』
  
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