野見宿禰のお墓 (のみのすくね)
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兵庫県たつの市の龍野城や龍野神社の背後の山頂にあります。

野見宿禰が出雲国に帰る途中、日下部里と呼ばれていたこの地で病気で亡くなりと、出雲の人たちが沢山やって来て、河原の石を運び墓を作りました。

沢山の人が「野に立つ」姿から、「立野」と呼び、のちに「龍野」となりました。

 
  第11代・垂仁天皇(神話時代)のとき、天下の力持ちを豪語する大和国の当麻蹴速(たいまのけはや)と出雲国の野見宿禰が天皇の御前で「力くらべ」をし、蹴速を負かした宿禰は朝廷に仕えます。

天皇のおきさき日葉酢媛命(ひばすひめのみこ)が亡くなった時、当時は高貴な人が亡くなると、仕えた者はすべて後を追って殉死する習わしがありました。
  
  このような風習に天皇は深く心を痛められ、宿禰は出雲より沢山の土器を作る人を呼び寄せ、土で人形や馬、器物(埴輪)を作らせます。

これを生きた人たちに代えて、陵墓のなかに埋めたのです。

それにしてもけっこう上るよ、赤とんぼの龍野、街の眺めに夕焼けは似合うよね。
  
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