鬼ノ城
岡山県総社市奥坂
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岡山県の古代史跡
ここは鬼ノ城、古代山城ですごく大きいよ。 千数百年前、温羅(うら)と呼ばれる一族が渡来し、居住したと云われています。
温羅はさらってきた人間や動物を「鬼の釜」を使って煮るなど、恐れられていたので「鬼ノ城」と呼ばれるようになりました。
第10代・崇神天皇は温羅退治のため、皇族の吉備津彦(古伊佐勢理毘古命:ヒコイサセリビコノミコト)を遣わします。
お互いに放った矢は空中で噛み合い海中に落ちたのが、「矢喰宮の矢(やぐうのみや)」、二矢を同時に放ったところ、一つが温羅の左眼に当たり、流れる血潮が流水となったのが「血吸川(ちすい)」です。
温羅は雉となって山中に隠れ、ミコトは鷹となってこれを追いかけ、 また温羅は鯉となって血吸川に潜ると、ミコトは鵜となって噛み揚げたのが「鯉喰宮(こいくう)」の由縁です。
ついに吉備津彦は温羅を退治し、吉備津神社の釜の下にその首を埋めたのです。
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