岡山県の古代史跡
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No.
史 跡
名 称
一口メモ
所在地
1
御釜殿鳴動神事
(吉備津神社)
「おかまでんめいどう」と言い、吉備津彦命の御夢に温羅の霊が現れて、若し世の中に事あらば、釜に参りれば、幸あれば裕かに鳴り、禍あれば荒らかに鳴ると告げたと云われています。
岡山市北区吉備津931
2
矢置岩
(吉備津神社)
大吉備津彦命が温羅と戦った時、中山主神が鬼神の矢を空中で奪取り、吉備津彦命がその矢を置いた岩と云われています。
岡山市北区吉備津931
3
大吉備津彦墓
(中山茶臼山古墳)
第7代・孝霊天皇皇子の大吉備津彦命の墓と治定されています。
岡山市北区吉備津
4
吉備津彦神社
主祭神は第7代・孝霊天皇の皇子で四道将軍の一人である大吉備津彦命です。
大吉備津彦命は犬、猿、キジを連れて鬼ノ城の温羅を討った桃太郎と云われています。
岡山市北区一宮
5
矢喰の岩
(やぐいのいわ)
温羅と吉備津彦命が戦い、彦命が矢を放てば、温羅の矢と空中で噛み合い、海中に飛び入りました。
ここの大きな石は、矢が姿を変えたものといわれたり、温羅が投げた岩とも云われています。
岡山市北区高塚
6
鬼ノ城
ここは古代山城、温羅(うら)と呼ばれる一族が渡来し、居住したと云われています。
温羅は恐れられていたので「鬼ノ城」と呼ばれるようになりました。
総社市奥坂
7
温羅奮跡碑
千数百年前、温羅(うら)と呼ばれる一族が渡来し、居住したと云われています。
彼は恐れられていたので「鬼ノ城」と呼ばれるようになりました。
総社市奥坂
8
鬼の釜
温羅はさらってきた人間や動物を煮るときに使ったと云われる「鬼の釜」です。
総社市黒尾
9
和気清麻呂公像
和気清麻呂公は、天平5年(733)備前国の藤野郡(和気町)に生まれ、長じて国政に参与し、政治の浄化と革新に大きな役割をはたしました。
道鏡事件・平安遷都に尽くしました。
和気郡和気町藤野138
10
和気広虫姫像
天平2年(730)、備前国藤野郡に生まれ、孝謙上皇に仕え、勅を伝宜する女官を勤めました。
天平宝字8年(764)、恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱の時、孤児八十三名を養子として育てました。
和気郡和気町藤野13
11
和気神社
和気神社は鐸石別命(ぬでしわけのみこと)・弟彦王命(おとひこおうのみこと)・和気清麻呂命・和気広虫姫命)など和気氏一族九祭神となっています。
和気郡和気町藤野138
12
和気氏政庁之碑
ここは地名を「大政(だいまん)」といい、大政所にちなむもの、すなわち古代の郡衙(ぐんが)・郡家の跡と推定されています。
和気郡和気町藤野字田ケ原
13
藤野寺跡
(実成寺)
藤野寺は、和気寺(現和気街稲坪の塔田)とともに、奈良時代に和気氏の氏寺として建立された平地仏教寺院です。
和気郡和気町藤野348
14
和気清麻呂公の碑
延暦18年(799)に67歳で没し、分骨は美作備前の国に埋められ、ここにも分骨が埋められたと云われています。
赤磐市松木
15
楯築遺跡
(たてつき)
楯築遺跡の上には、5つの巨石が立っています。
この巨石は吉備津彦命が温羅の矢を防ぐために築いた楯とされ、遺跡の名称の由来となっています。
倉敷市矢部
16
鯉喰神社
朝鮮半島から渡来した温羅(うら)という鬼と、吉備津彦命が戦いの末、力尽きた温羅は鯉に化けて逃げようとし、吉備津彦命は鵜となり、この場所で温羅を捕まえたと伝えられています。
倉敷市矢部109
17
吉備公廟
吉備真備公は持統天皇9年(695)の奈良時代、備中小田川流域にあたる下道郡(現在の真備町あたり)の豪族、下道圀勝(しもつみちのくにかつ)の子です。
倉敷市真備町箭田3792
18
吉備寺
右大臣吉備真備公の菩提所で、当時の建物は建武元年(1336)足利直義東征の時に戦火で焼失したと云われています。
倉敷市真備町箭田3792
19
吉備公館址
産湯が目に入り、その手前に館址の碑があります。
公は生まれつき聡明であったので神童と呼ばれ、特に学問を好み一を聞いて十を知るという才人であったと云われています。
倉敷市真備町箭田
20
吉備真備公産湯の井戸
この地は、昔天原(てんばら)といい、吉備公の御館があった所で、真備が生まれる前夜この井戸へ星が落ちたので、星の井と言われるようになりました。
倉敷市真備町箭田
21
吉備真備公園
吉備公ゆかりの地には屋敷跡とみられる土塁に囲まれた「だんのうち」と呼ばれる平地があり、このあたりから奈良時代の瓦片が出土しています。
小田郡矢掛町東三成3872-2
22
下道氏の墓
下道氏(しもつみち)のお墓、下道圀勝の子が吉備真備だそうです。
小田郡矢掛町東三成
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