和気広虫姫像
岡山県和気郡和気町藤野138
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  天平2年(730)、備前国藤野郡(現和気町)に生まれ、孝謙上皇に仕え、勅を伝宜する女官を勤めました。

天平宝字8年(764)、恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱の時、逆徒の助命を嘆願して死刑を流罪に改め、乱後の孤児八十三名を養子として育てました。
  
  神護景雲3年(769)、道鏡事件により備後国に流されましたが、光仁天皇の即位により許されて都に帰り、その後も典蔵・典侍として宮中に仕え、延暦18年(799)に70歳で没します。

日本書記には「人と為り貞順にして、節操欠くること無し」、「未だ嘗て法均の、他の過を語るを聞かず」とあるように、慈悲深く、清純で心の広い人柄だったそうです。

『現地案内を参照』
  
  
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