和気清麻呂公の碑
岡山県赤磐市松木
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岡山県の古代史跡
清麻呂は、第11代・垂仁天皇の皇子・鐸石別命(ぬてしわけのみこと)の祖孫、弟彦王(おとひこおう)の十一代の孫で、天平5年(733)の出生云われています。
神護景雲3年(769)5月、輔治能真人(ふじのまびと)の姓を賜ったが、同年9月には道鏡事件と呼ばれる、宇佐八幡宮の神託(しんたく)を奏上して大隅国(鹿児島県)に流されました。
宝亀2年(771)本位に復され、同5年(774)には姉・広虫(ひろむし)とともに、和気朝臣の姓を賜り貴族の列に加わり、備前美作の国造となり、延暦中、摂津大夫、民部大輔、中宮大夫を兼ねました。
延暦18年(799)に67歳で没し、分骨は美作備前の国に埋められ、ここにも分骨が埋められたと云われています。
『現地案内を参照』
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