鏑矢塚と弓代塚
大阪府八尾市南太子堂3丁目1、3丁目4
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大阪府の古代史跡
用明2年(587)、厩戸皇子(聖徳太子)をはじめとする皇子達と蘇我馬子らは物部守屋の軍勢と戦います。
守屋軍は稲城(いなき)を築き、榎木の上から弓を放つ守屋に苦戦した皇子らは三度退却します。
聖徳太子らは四天王に祈願すると、
迹見赤擣(とみのいちり)の放った矢が守屋を討ち、皇子と馬子らは勝利したと「日本書記」に記されています。
大聖勝軍寺の周辺にはそうした史跡が残されており、鏑矢塚は守屋を射た矢を埋めたと「大聖勝軍寺略縁起」(1455)は伝えています。
鏑矢とは、先端が植物の「かぶら」のような形をしている矢のことです。
この碑は「弓代(ゆみしろ)」で、鏑矢を放った弓が埋められているんだよ。
『現地案内を参照』
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