赤松円心館跡
兵庫県赤穂郡上郡町河野原279
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JR山陽本線「上郡駅」から東の373号線を北へ走ります。

智頭急行「苔縄駅」を過ぎて、まもなく東側には白旗城があり、すぐ北の集落には赤松円心館跡がありました。

 
  ここの広場と赤松幼稚園が円心の館跡と云われています。

正中元年(1324)、後醍醐天皇は鎌倉幕府討幕の計画を立てました。 しかし、土岐頼員の密告により計画は失敗に終わります。

元弘元年(1331)、天皇は再び討幕を図るのですが、これも吉田定房の密告により計画は失敗、追い詰められた天皇は御所を脱出し、笠置山で兵を挙げるのでが、捕らえられ隠岐に流されるのです。
  
  苔縄城の石碑です、実際の苔縄城は千種川の西側の山城だと云われているよ。

赤松円心の三男・則祐が、護良親王からの挙兵令旨を持ち帰り、赤松一族が挙兵したのが館跡に建つ苔縄城石碑の所だと云われています。

その後足利尊氏らと鎌倉方の六波羅探題を陥落させるのです。

『参考文献を参照』
  
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