兵庫県の太平記史跡2

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No.
史 跡
名 称
一口メモ 
所在地
34 赤松円心館跡 赤松円心の三男・則祐が、護良親王からの挙兵令旨を持ち帰り、赤松一族が挙兵したのが館跡に建つ苔縄城石碑の所だと云われています。 赤穂郡上郡町赤松
    
35  五社八幡神社 五社八幡神社は、赤松円心の三男・則祐が創建します。
赤松館跡の近くだよ。
赤穂郡上郡町赤松271
     
36 赤松三尊像
(宝林寺)
円心の三男・則祐は、円心の跡を継いで北朝・室町幕府に味方し、守護大名・赤松氏の基盤を固めます。
ここ宝林寺は則祐によって建立されました。
赤穂郡上郡町河野原279
    
37 白旗城 延元元年(1336)、新田義貞に当時九州に身を置いていた足利尊氏討伐の命が下り、義貞は六万の兵を率いて播磨に侵入してきました。50余日の城攻めに耐え、のち湊川の戦いで尊氏軍が勝利するのです。 赤穂郡上郡町赤松・細野・大富・野桑
    
38 法雲寺 赤松円心則村は、この地を仏教による精神的な拠点とすべく、高僧雪村友梅を招き、金華山法雲昌国禅寺(法雲寺)を建立し、赤松一族の菩提寺とします。 赤穂郡上郡町苔縄637
   
39 石龕寺
(せきがんじ)
 
南北朝時代、足利尊氏が弟直義との争い(観応の擾乱)に敗れ、一時京都から播磨に逃れるとき、嫡子義詮に仁木頼章、義長兄弟を添え、二千騎を当山に留めています。 丹波市山南町岩屋2番地
    
40 久下城 観応2年(1351)、足利尊氏も弟・直義と分裂し、直義が京都を攻めた時に尊氏と子・義詮は京を捨て西の丹波へと逃げました。
久下時重はこの足利父子の危機を救い、貞重・頼直・幸興と続いて丹波での勢力を拡大させていくのです。
丹波市山南町玉巻、金屋
    
 41 高見城  尊氏が室町幕府を開いた時、仁木頼章が丹波国守護として高見城を本拠としました。 丹波市氷上町稲畑、佐野 柏原町鴨野、大新屋
    
42  三開城 元弘三年(1333)、南朝方は新田義貞の子・義宗を三開山城に迎え、妙見山城(養父市)や進美寺山城(城崎郡)を拠点としています。
康永三年(1344)、山名時氏が三開山城を落とします。
豊岡市大篠岡・木内・駄坂・香住
    
43 水生城  水生城は南朝方である山名時氏の家臣・長左衛門尉道金が築きます。
北朝方・伊達真信は国分寺城を拠点として、水生城を落としました。
豊岡市日高町上石、 豊岡市上佐野
      
44 福井城 康安元年(1361)、南朝方の山名時氏が伯耆から上洛を企て、美作の赤松世貞を追い出し播磨進出を図ります。
これに対抗する北朝方は、仁木頼勝(頼章・義長の弟)を守護として入れたのが、福井城とも云われています。
豊岡市出石町安良
      
45 鉢山城 北朝方の伊達真信が但馬の南朝方討伐を開始し、南朝方の中心・三開城へと迫る時、北朝方の伊達朝綱が陣を構えたのが鉢山城です。 豊岡市上鉢山
     
46 松帆神社  楠木正成が湊川の戦いで自刃のおり、家臣である吉川弥六に日ごろ守護神と崇めていた八幡大神を託します。
弥六は仲間と共に淡路に逃れ来て、小祠を建てこれを祀りました。
淡路市久留麻256
     
47 伊勢久留麻神社 境内には、楠木正成公ゆかりの駒止の松があります。今は三代目だそうです。
拝殿のところに楠公駒留の松の奉納画がありました。
淡路市久留麻字神田2033
 
    
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