後醍醐天皇 隠岐へ流される
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兵庫県の太平記史跡
No.
史 跡
所在地
写 真
メ モ
1
船坂山
兵庫県赤穂郡上郡
岡山県備前市
兵庫県と岡山県の県境の船坂峠(国道2号線)を走ると案内があります。
元弘2年(1332)、後醍醐天皇が隠岐島に配流される際、児島高徳は天皇を奪い返そうと、この地で待ち受けました。
しかし、幕府軍はすでに山陰方面に向かい、高徳は行き合うことができませんでした。
2
後醍醐天皇御駐驛傳説地
佐用郡佐用町
縁応寺
風土記で、西にある佐用都売神社に行きました。
そこにある案内板に、この地がありました。
写真はかなり以前に訪れた時ので、今では倒されて、壊されている感じです。
3
杉坂峠
佐用郡作用町佐用2611-1
備前の国の武将・児島高徳は後醍醐天皇を国道2号線の兵庫と岡山の県境にある船坂山で助けようと待っていました。
でも、天皇一行は北の杉坂峠越えで西に向かったのです。
高徳はすぐに向かうのですが、天皇はすでに杉坂から離れていたのです。
4
笠懸の森
岡山県美作市
楢原中
北条高時が、京都六波羅より五百余りを率いて、警護のために従いました。
天皇はここでお休みになられ、その際に武士たちは「笠懸け」という武芸を行い、天皇の心を慰めました。
「笠懸け」とは、馬上の武士が駆けながら弓で笠を射る技のことです。
5
洗顔清水
岡山県津山市種
岡山県津山から449号線「押淵皿線」沿いにあります。
元弘2年(1332)、後醍醐天皇が隠岐に配流される途中、この場所で顔を洗います。
6
十字の詩
岡山県津山市
神戸433
児島高徳は、天皇を救出するため、夜に院庄館に忍び込みます。
しかし警護が厳重だったため、天皇奪還を残念しました。
そばにあった桜の木に漢詩を掘って天皇を勇気づけたのです。
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