光明寺合戦
兵庫県加東市光明寺433
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観応2年(1351)2月4日、ここは加東市光明寺です。 この五峰山を舞台に、足利尊氏と弟直義の軍勢が戦ったのが光明寺合戦です。
直義方の石塔頼房が光明寺に陣を置き、尊氏や高師直らが攻めたてたのです。

 
  貞和4年(1348)、吉野焼討ちで、南朝を制圧した北朝方では、足利尊氏・直義兄弟の争いが表面化します。(観応の擾乱)

中国筋平定のため書写山に依った尊氏を討つべく、石塔頼房は五千余騎で光明寺に陣を構え、八幡(京都府)の直義に援軍を求めました。

それを知った尊氏は、援軍の来る前に打ち破ろうと一万騎を率いて光明寺を囲むのです。
  
  尊氏は引尾山、高師直は鳴尾山、赤松則祐は八幡山に陣をしきました。

仁王堂や東坂で激戦が展開されましたが、いずれも寄手が敗れます。

両軍の対峙は10日におよび、城方の後詰がせまったので寄手は摂津まで軍をひきました。

のち尊氏は直義と和睦し帰京しましたが、高師直・師泰兄弟は摂津の鷲林寺で処刑されるのです。
  
  
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