久下城
兵庫県丹波市山南町玉巻、金屋
 Home  兵庫県の太平記史跡2

 
氷上郡山南町に入り「井原交差点」を東の県道77号線、「久下小北」から県道86号線を北へ進むとすぐJR谷川駅の西側には踏み切りがあります。

線路の西側には標高241m八幡山の山頂に久下城(くげ)があります。

 
  元弘3年(1333)、後醍醐天皇の令旨を受けた足利尊氏は、鎌倉幕府の六波羅軍を攻めるために、丹波の篠村(京都亀山市)に入り、諸国の武士に参陣を呼びかけました。

この時も一番に参じたのが、久下時重なのです。 鎌倉幕府が倒れ、後醍醐天皇の建武の新政が始まるのですが、足利尊氏の離反によってわずか二年で崩壊しました。
  
  観応2年(1351)、足利尊氏も弟・直義と分裂し、直義が京都を攻めた時に尊氏と子・義詮は京を捨て西の丹波へと逃げました。

久下時重はこの足利父子の危機を救い、久下氏も貞重・頼直・幸興と続いて丹波での勢力を拡大させていくのです。

『参考文献を参照』
  
 Home  兵庫県の太平記史跡2

城跡探索