水生城
兵庫県豊岡市日高町上石、 豊岡市上佐野
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JR山陰本線「国府駅」の所で西へ入り、北側にある集落の背後には、標高120m〜190mの尾根上に長さ1kmに渡って水生城(みずのお)がありました。

 
  暦応2年(延元4年:1339)、 北朝方・今川頼貞は丹後守護ののち、但馬と因幡の守護になります。

南朝方・上野頼兼は足利尊氏に属し、石見、丹後の守護となり、観応の擾乱では足利直義に味方しています。
  
  観応二年(1351)、北朝方・今川頼貞と南朝方・上野頼兼が対立し、南朝方は今川頼貞の磯部城を攻撃しました。

対して、今川頼貞に属する伊達真信は美方郡の温泉城(ゆの)、養父市の宿南城、城崎郡の八代城などを攻めています。

ここ水生城は南朝方である山名時氏の家臣・長左衛門尉道金が築きました。

そして、北朝方・伊達真信は国分寺城を拠点として、水生城を落としたのです。

『参考文献を参照』
  
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