高見城
兵庫県丹波市氷上町稲畑、佐野 柏原町鴨野、大新屋野
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「丹波悠遊の森」の背後には標高485m(比高330m)の山頂に高見城(たかみ)がありました。

 
  建武三年(1336)、足利尊氏は兵庫の「湊川の合戦」で楠木正成に勝利すると、新田義貞は恒良・尊良親王を奉じて越前の金ケ崎城に入りました。

尊氏は、高師泰、今川頼貞、小笠原貞宗、塩冶高貞、仁木頼章ら二万の大軍で新田義貞が籠もる金ヶ崎城へと向かい、ついに義貞は討たれ、子・義顕と尊良親王は自害するのです。

その後、尊氏が室町幕府を開いた時の将軍補佐役として高師直が執事となり、のち仁木頼章や細川清氏らがあとを継いでいます。 この仁木頼章が丹波国守護として高見城を本拠としました。
  
  観応年間(1350-52)、尊氏が弟・直義と争った「観応の擾乱(じょうらん)」では尊氏が勝利を収めたものの、今度は直義の子・直冬(尊氏の養子)と争うことになるのです。

この頃、仁木氏は二代目・義遜の時に没落し、代わって山名時氏が丹波の守護を兼ね、久下城主・久下時重を守護代として高見城を守らせていました。

『参考文献を参照』
  
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