高師直邸宅跡
京都府京都市上京区西船橋町
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京都府の太平記史跡
この地は、古くから舟橋と呼ばれていますが、昔、堀川が氾濫したとき、舟を繋いで橋としたことから舟橋と云われています。
「京町鑑」では、足利尊氏の執事、高師直の邸があり、泉殿の下に舟橋を浮かべて結構をつくしたのが地名になったと記されています。
観応元年(1350)、尊氏と弟・直義が対立し、尊氏と高師直は直義の養子・足利直冬討伐のために播磨へ出陣します。
直義は南朝と手を結び、直冬とともに師直誅伐を掲げて挙兵します(観応の擾乱)。
摂津国打出浜の戦いで直義方が勝利し、師直は摂津から京都への護送中に命を取られるのです。
『現地案内&Wikipediaを参照』
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