楠公父子訣別之所 (桜井駅跡)
大阪府三島郡島本町桜井1丁目3
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JR東海道本線「島本駅」のすぐ東、「史蹟桜井駅跡」の碑があり、そこには楠正成と正行父子の別れの石像がありました。

奈良時代のはじめ、平城京と各地を結ぶ交通路を整備するために駅家(うまや)を設置しました。

京から西国へ向かう道筋に設置された駅の一つに「摂津国嶋上郡大原駅」が記され、これが桜井駅を指すものと考えられています。

 
  島本駅のすぐ前、結構広い史蹟公園になってるね。

延元元年(1336)、足利尊氏との戦いに死を覚悟していた正成は桜井の駅に正行を呼び寄せます。

今後の生き方の教訓を与えた後、生き別れの宴を催し、その宴も終わり、正行は泣き泣き河内の国へ帰るのです。
  
  「楠公父子別れの石像」

昭和15年、新京阪電鉄(現阪急電鉄)「桜井の駅」前に青葉公園ができ、駅前に子別れの銅像が建てられました。

でも、戦争で銅像は供出され、のちコンクリート像に代わったんだね。

『現地案内を参照』
  
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