京都府の平安史跡 1

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京都府

    
  
No.
史 跡
名 称
一口メモ 
所在地
 1 渡月橋 承和3年(836)、弘法大師の弟子の僧・道昌(どうしょう)によって大堰川の修築が行われ、その時に架設されたのに始まると云われています。 京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町1-5
      
2  広沢池
(ひろさわのいけ)
平安時代中期の永祚元年(えいそ:989)、宇多天皇の孫あたる寛朝僧正が朝原山のふもとに遍照寺(へんじょうじ)を建立する際、本堂の南に庭池として造営したと云われています。 京都市右京区嵯峨広沢町
      
 3 平安宮 大極殿跡
(だいごくでん)
平安宮で最も重要な施設で、平安京遷都の翌年、延暦14年(795)には完成しました。
天皇の即位式のほか、正月に行われる朝賀や御斎会、外国使節の謁見など、国家の重要な行事がここで行われました。
京都市上京区小山町905
    
4  平安京 内裏跡 延暦13年(794)の平安遷都とともに造営された内裏は、天皇や后たちの居住空間で平安宮(大内裏)の中心的な施設です。 京都市上京区下丸屋町512
    
 5 平安宮 主水司跡
(もんどのつかさ)
主水司(daigakuryo)は、平安宮の飲料水や氷室をつかさどる役所です。 京都市上京区西院町914
      
6 平安宮 宴の松原跡
(えんのまつばら)
宴の場として用いられたことが考えられるが、その事実を示す記録はありません。
天皇の代替わりに当たって内裏を建て替えるための予備の空間とも云われています。
京都市上京区7番町
      
7 平安宮 内裏内郭回廊跡
(かいかくかいろう)
天皇の住居であった内裏は、大極殿のあった千本丸太町の東北方のこの地域に造られていました。
内裏は、厳重な二重宇の築地回廊で囲まれ、築地を挟んで内と外に回廊がめぐり、衛士(えし)らが厳重に警護をしていました。
京都市上京区下立売通土屋町西入南側
      
 8 平安宮 内裏承明門跡
(じょうめいもん)
この付近から北方一帯は、平安宮(大内裏)の天皇の居所である内裏跡にあたり、4箇所の地鎮め遺構が検出され、延久3年(1071)の後三条天皇遷御の時のものと考えられています。 京都市上京区下立売通浄福寺西入南側
      
 9 平安宮 内裏宜陽殿跡
(ぎようでん)
内裏の紫宸殿(ししんでん)にあって軒廊でつながっています。
宜陽殿には兵部卿宮が弾いた琴など、当時の一級品が収められていました。
京都市上京区浄福寺通下立売上る東側
      
10 平安宮 内裏弘徽殿跡
(こきでん)
内裏の後宮七殿五舎の一つで、当初は北の登華殿(とうかでん)とともに女御・更衣の共同居住区の西町にすぎませんでした。
後宮の中でも重要な殿舎であり、「源氏物語」では朱雀院の母の弘徽殿女御が住みました。
京都市上京区土屋町通出水下る東入北側
      
 11 平安宮 内裏承香殿跡
(じょうきょうでん)
内裏の後宮七殿五舎の一つで、仁寿殿の北にあり、9世紀初頭の嵯峨天皇のころに創建されました。
中央の馬道により東西にわかれ、東庇には天皇の書物を保管する内御書所がありました。
京都市上京区浄福寺町通出水下る西入北側
      
 12 平安宮 内裏昭陽舎跡
(しょうようしゃ)
内裏の後宮七殿五舎の一つで、淑景舎(しげいしゃ)の南に位置します。
庭に梨を植えたことから梨壺と呼ばれていました。
京都市上京区浄福寺通出水下る東入北側
      
 13 平安宮 内裏綾綺殿跡
(りょうきでん)
綾綺殿は、天皇の住まいである内裏の中心建物である仁壽殿(にんじゅでん)の東にあった南北に長い建物です。 京都市上京区浄福寺通下立売上る東側
    
 14 平安宮 一本御書所
(いっぽんごしょどころ)
この付近は天皇の住まいであり、内裏の東側に当たり、一本御書所がありました。
平安時代中期の天暦2年(948)頃からの「貞信公記」などの文献に現れ、世間に流布した書籍を各一本(一部)書き写して保管・管理した所です。
京都市上京区中村町智恵光院西入北側
      
 15 内裏南限と建礼門跡 内裏外郭に設けられた正門で、規模は正面五間あり、内裏外郭門としては最大です。
衛門府が警護し、門を入ると内裏内郭の正門である承明門があり、これを入ると南庭を隔てて紫宸殿(ししんでん)に至ります。
京都市上京区中務町
     
 16 平安宮 一条院跡  平安宮の北東に隣接した邸宅で、一条天皇の里内裏として有名(一条院内裏)で、御所として用いられたのは西側の一町で、東側は附属する財政や物資の調達を担当する別納でした。 京都市上京区大宮通中立売上る糸屋町
      
 17 平安宮 大蔵省跡・大宿直跡 大蔵省は令制八省の一つで、多くの倉庫があり、
出納・収納・度量衝などを職務とし、諸国から貢進される調庸・銭ないし金銀以下の貢献物を正倉などの倉庫に納め、官人給与の禄やさまざまな財源に充てられました。
京都市上京区多門町
      
18 平安宮 内裏蘭林坊跡
(らんりんぼ)
天皇の住まいだった内裏跡にあたり、なかでも当地は、陽明文庫蔵「内裏図」により、蘭林坊跡と考えられています。
蘭林坊とは、天皇一代の大イベント大嘗祭などに使用される品物の保管場所です。
京都市上京区弁天町309-5
      
19 平安宮 内裏清涼殿跡
(せいりょうでん)
天皇の居所です。 母屋は東西二間、南北九間で周囲に庇、東側には孫庇を持ち、簀子(すのこ)がめぐり、西の後涼殿(納殿、御厨子所など)、北の飛香舎(藤壺)とは渡殿で繋がっていました。 京都市上京区下立売通千本東入ル田中町
    
20 平安宮 内裏紫宸殿跡
(ししんでん)
内裏の正殿で公的な行事の場です。

中央の御帳台(みちょうだい)に天皇が出御して国家の重要な儀式が行われました。
京都市上京区田中町下立売通浄福寺西467
      
21 平安宮 采女町跡
(うぬめまち)
天皇の居所である内裏の西北にあった采女町は、主に天皇の食膳の給仕を職掌とした女官が伺候する所で、西隣には天皇の食膳を調理をする内膳司がありました。 京都市上京区西神明町339
      
 22 平安宮 民部省跡
(みんぶしょう)
国家の重要な省庁である「二官八省」の一つ民部省は、朝堂院の東、太政官の南に位置し、諸国の民政、財政を担当する役所で、南東に中央および地方の財政を一手に掌握し、予算編成を行う最も重要な官司の一つである 京都市上京区主税町
     
 23  土御門烏丸内裏跡 この地は、村上天皇の皇子・具平親王(ともひらしんのう)の邸宅が造営され、12世紀に至って、曾孫源師時(もろとき)の邸宅・土御門第となりました。
京都ガーデンパレス敷地だね。
京都市上京区烏丸通下長者町上る龍前町605
     
 24  清和院・土御門内裏跡 里内裏も、保元元年(1156)の乱により再開と中止を繰り返し、後白河天皇が大内裏の再建を打ち出すと廃絶となるのです。 清和キリスト教会の敷地にある、清和院・土御門内裏跡碑だね。 京都市上京区室町通中長者町通下る
    
 25 紫式部邸跡(盧山寺) この地は紫式部邸宅跡と云われています。
ここで『源氏物語』や『紫式部日記』が執筆されたという説があります。
京都市上京区北之辺町397
    
 26 拾翠亭
(しゅすいてい)
五摂家のひとつであった九条家の現存する唯一の建物で、江戸後期に建てられたものと云われています。 京都市上京区京都御苑3
     
27 九条邸跡 九条家は、五摂家の一つで、平安後期以降多くの人が朝廷の重要職である摂政や関白に就きました。 京都市上京区京都御苑内
     
 28 二条家邸跡 二条家は藤原氏を祖とし、「五摂家」の一つで、今出川通の北側にも屋敷が並び、当地(女子大学東半部)には二条家が広大な屋敷地を構えていました。 京都市上京区常盤井殿町
     
 29 鷹司邸跡 鎌倉時代中頃、近衛家からわかれた五摂家の一つです。
ここは長州軍幹部の久坂玄瑞が切腹したところだそうです。
京都市上京区京都御苑
    
 30 宗像神社 この地は小一条殿(こいちしょうでん:文徳天皇皇后明子の里、藤原忠平の邸宅)といい、平安の御代、清和天皇のご誕生の地と云われています。 京都市上京区京都御苑内
    
 31 花山院家邸跡 藤原北家の藤原道長の孫・関白師実の二男左大臣・家忠は花山上皇御所であった東一条殿を拝領し、花山院(かさんのいん)の祖となりました。 京都市上京区京都御苑内
    
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