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松下村塾
山口県萩市椿東1537
安政4年(1857)、吉田松陰は実家杉家宅地内にあった小屋を改造して塾舎としました。
ここから若い松下村塾グループが育ち、尊攘倒幕運動に挺身し、明治維新の原動力となりました。 

   
吉田松陰
幽囚の旧宅
山口県萩市椿東1537
安政元年(1854)、伊豆下田沖でペリー率いるアメリカ軍艦(黒船)に乗り込もうとして失敗、江戸伝馬町の牢獄に捕らえられ、のちに萩の野山獄に入れられました。
安政2年(1855)に釈放後、杉家旧宅で謹慎生活を送ります 

   
明治維新胎動之地
萩市椿東1537
昭和43年(1968年)に明治維新100年を記念して建立されました。
揮毫は山口県出身の故佐藤栄作首相です 

   
吉田松陰歴史館
萩市椿東1537
吉田松陰の生涯をろう人形で再現しています。

   
明倫館碑
萩市江向602
明倫館碑は2つ、左側は元文6年(1741)、6代藩主・毛利宗広が旧明倫館創立の由来を伝えるために建立しました。
右側の碑は、嘉永2年(1849)、毛利敬親(たかちか)が新明倫館の開校を記念して作られています。

   
明倫館
観徳門
(かんとくもん)
萩市江向602
孔子を祀った聖廟の前門です。
本願寺萩別院に移され客殿門になっていましたが、昭和57年に現在の場所に移されました。

   
明倫館有備館
(ゆうびかん)
萩市江向602
有備館(ゆうびかん)は、旧明倫館の剣術場と槍術場を移して拡張した建物です。
北半分が剣術場、南半分が槍術場になっています。

   
明倫館南門
萩市江向602
南門は新明倫館の正門として建てられ、本願寺山口別院に移され正門になっていましたが、平成16年に元の場所に移築されています。

 
高杉晋作
誕生地
萩市南古萩町23
天保10年8月20日(1839)、高杉晋作は長州藩士・高杉小忠太(高杉春樹)の長男として誕生します。安政4年(1857)、松下村塾に入り、久坂玄瑞、吉田稔磨、入江九一と共に松下村塾四天王と呼ばれていました。

  
木戸孝允
誕生地
萩市大字呉服町2-37
天保4年6月26日(1833)、長州藩の藩医である和田昌景の長男として生まれました。
天保11年(1840)、藩士・桂孝古の養子となり、嘉永元年(1848)、和田小五郎から桂小五郎となりました。

  
  伊藤博文 旧宅
萩市椿東1511-1
天保12年9月2日(1841)、周防国の百姓・林十蔵の長男として生まれます。

   
伊藤博文 別邸
萩市椿東1515-1
別邸は、明治40年(1907)に東京都品川区に建てた屋敷のうち、その面影をよく残す一部の玄関、大広間、離れ座敷の3棟を移築したものです。 

    
伊藤博文像
萩市椿東
旧宅そばには、萩焼でつくられたほぼ等身大の伊藤博文の陶像が建っています。

  
金子重輔君
絶命之処
萩市今古萩町
嘉永6年(1853)、金子重輔(かねこしげのすけ)は吉田松陰と出会い弟子となり、アメリカ艦に乗り込もうとしましたが、拒否され自首し、萩の岩倉獄で病死するのです。

  
楢崎弥八郎
旧宅地
萩市土原309-4
尊王攘夷の志を持ち、公武合体を唱え、尊王攘夷派と対立していた長井雅楽を久坂玄瑞らと討つ計画を立てます。 

  
吉田稔麿
誕生の地
萩市大字椿東1526
吉田稔麿(としまろ)は、久坂玄瑞・高杉晋作・入江九一とともに松陰門下の四天王と称されました。
元治元年(1864)、池田屋事件で命を落とすのです。

 
前原一誠
旧宅地
萩市土原315-1
前原一誠も松下村塾生です。
徴兵制を支持する山県有朋に追われ、萩へ帰り、萩の乱を起こして捕らえたれ、処されるのです。

   
大和国之助
誕生地
萩市土原
元治元年(1864)禁門の変後、幕府による第一次長州征伐下に誕生した佐幕派の藩庁により、萩の野山獄で処刑された長州藩士11人の内の1人です。(甲子受難十一烈士)

   
青木周弼 旧宅
萩市南古萩町3
嘉永4年(1851)、13代藩主・毛利敬親の侍医を務め、藩に西洋兵学を紹介し、村田清風を通じて幕末の藩政改革に尽力しました。

   
円政寺
萩市南古萩町6
建長6年(1254)に創建、大内氏の祈願所で、大内氏滅亡した後は、毛利氏の祈願所となりました。
境内には高杉晋作や伊藤博文の子供時代に遊んだと云われる木馬があります。

   
田中義一
生誕の地
萩市菊屋横町
藩主の御六尺(かごかき)田中家の三男として生まれました。
昭和2年(1927)内閣総理大臣となりました。

  
山口藩庁門
山口市滝町山口県庁
元治元年(1864)、時の藩主・毛利敬親(たかちか)が、藩政の本拠地を萩から山口へ移すため建築した山口政事堂の表門として築造されたものと云われています。 

  
十朋亭
(じっぽうてい)
山口市下竪小路11201
山口の旧家萬代家の離れで江戸時代中期の建物です。
幕末、萬代家は志士たちの活動を援助し、高杉晋作、桂小五郎、久坂玄瑞、伊藤博文たちが宿泊所として利用しました。

  
中谷正亮の墓
山口市下堅小路 法界寺
中谷正亮は、萩藩士中谷市左衛門の子です。 はじめは福原冬嶺、中村牛荘の門に学び、のち明倫館に入り吉田松陰を尊敬して教えを受けました。 

  
井上薫の生家
山口市湯田温泉 
高杉晋作らと尊王攘夷運動に参加、のち伊藤博文らとイギリスに留学(実際は密航)します。
帰国後には木戸孝允らと薩長連合に奔走しています。 

  
七卿の碑
山口市湯田温泉2-5
三條実美(さねとみ)は、尊攘派公卿の中心人物として活躍しましたが、文久3年の政変で長州にのがれます。(七卿落ち)
その時、湯田温泉は三条実美や七卿の宿舎にもなっていました。 

   
龍尾の手水鉢
山口市湯田温泉2-5
古くから井上家にあり、龍の尾の形をしているので、龍尾の手水鉢と呼ばれています。
三条公らの七卿や明治維新の諸国志士たちが、井上家を訪れたときに使われたものです。 

   
何遠亭跡の碑
(かえんてい)
山口市湯田温泉2-5
七卿落ちのとき、井上家の離れを増築し、三条実美らの宿舎にあてられた所です。
全国の勤皇の志士たちが出入りし、維新回天のための相談が行われたところです。 

  
所郁太郎 顕彰碑
山口市湯田温泉2−5
天保9年、美濃国赤坂に生まれ、京に出て医学を学びます。
京都で医院を開いた時、長州藩の京都邸の近くであったため、藩の邸内医員を委嘱されました。

  
松田屋
山口市湯田温泉3丁目6-7
維新の志士たちも集まった温泉宿泊施設です。 

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