奈良県の源平史跡

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No.
史 跡
名 称
一口メモ 
所在地
東大寺 治承4年(1180)、平清盛は平重衡を総大将、甥の平通盛を副将として南都へ向かわせ、ついに興福寺と共に、東大寺を焼き払うのです。 奈良市雑司町406-1
      
興福寺 治承4年(1180)、平清盛は平重衡を総大将、甥の平通盛を副将として南都へ向かわせ、ついに東大寺と共に、興福寺を焼き払うのです。 奈良市登大路町48
      
猿沢池 平清盛は妹尾兼康に南都の僧兵の鎮圧を任せ兵500人を付けて、送り出すのですが、南都の大衆は兼康勢60余人を捕らえて斬首し、猿沢池の端に並べました。 奈良市登大路町
     
吉水神社 義経は頼朝に追われ、静御前や供のものと吉野に身をかくしたのが吉水神社の書院です。 吉野郡吉野町吉野山579
吉水神社
      
弁慶の力釘 頼朝の追手は、義経出てまいれとわめきます。
弁慶はそばにあった釘を2本抜き、追手たちの真ん中にあった岩に全身の力を込めて、親指で二本打ち込み、その怪力に追手たちは逃げ去ったと云われています。
吉野郡吉野町吉野山579
吉水神社
    
勝手神社 源義経と涙ながらに別れた静御前は、山中をさ迷っているところを追手に捕えられて、この社殿の前で雅な姿で法楽の舞をまい、居並ぶ荒法師たちを感嘆させたと云われています。 吉野郡吉野町吉野山2354
      
静御前終焉の地 静御前は、ここ磯野の長者の妻磯野禅尼を母として生まれました。 大和高田市磯野
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