五十三次めぐり [1] [2] | |
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義経ゆかりの春日神社 | |
小枕423-1 |
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義経が馬に乗ったまま春日神社前を通りかかると、振り落とされそうになりました。 古老があらわれ「ここは勝村、馬に乗ったまま通り過ぎるとは無礼で神のたたり」と話します。 義経は馬から降りて、勝利を祈願し、鞍を奉納するのです。 |
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真南条上谷中分水界 (こくちゅうぶんすいかい) |
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一般的に分水界は、山の峰がその役割を果たしますが、平地にある分水界を「谷中分水界」と呼びます。 ここの田んぼの水は、右側は武庫川、左側は加古川に流れるらしいよ。 |
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篠山城築城の石 | |
家康の命令で、藤堂高虎が天下普請で築城した篠山城の石材です。 ここ粟栖野集落の背山も採石場で、城に運ぶ途中で取り残されたものだそうです。 |
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薬師様とラッパイチョウ | |
北 | |
お母さんが赤ん坊が泣いて仕方ないので、お金もないし、乳も出ないので、赤ん坊を銀杏の根元に置いて去りました。 数日たって見に行くと赤ん坊は元気にいたのです。 「ここのギンナンを食べるとお乳が出ますよ」とささやかれ、食べたところ、沢山の乳が出たと云われています。 |
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太神宮燈籠 (だいじんぐうとうろう) | |
往時は伊勢詣が盛んで、元伊勢からの参宮街道の要所に在り、旅人の安全を祈念しました。 |
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女畷之碑 (おんななわてのひ) | |
天正7年、八上城落城のおり、城主・波多野秀治の幼君甚蔵を懐ける乳母一路ここへ落ち延びました。 ここより東約100mには、腰元たちの忠節乙女塚の碑があります。 |
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