HOME | |
1 丹比柴籬宮 (たじひのしばかきのみや) |
|
大阪府松原市上田 | |
仁徳天皇の皇子・第18代反正天皇は宋の文帝に遣使した「倭の五王」の一人です。 ここは柴籬神社で、宮としました。 |
|
|
|
2 訳語田幸玉宮 (おさださちたまんみや) |
|
奈良県桜井市戒重557 春日神社 | |
第30代・敏達天皇が営んだ宮です。 最初は百済大井宮を営んでいましたが、占いによりこの地に宮を移しました。 崇仏派の蘇我氏と廃仏派の物部氏が対立し、仏法を広めたせいで疫病が流行りだしたと物部氏から進言を受けた敏達天皇は、仏教を禁止しました。 |
|
|
|
3 飛鳥板蓋宮 | |
奈良県明日香村 | |
第35代皇極天皇・(第37代斉明天皇)が営んだ皇居です。 乙己の変(いっしのへん)で、中大兄皇子と中臣鎌足は、蘇我入鹿らを暗殺したところだね。 |
|
|
|
4 難波宮 |
|
大阪府中央区法円坂 | |
第36代孝徳天皇は飛鳥から難波へ遷都します。大化の改新はこの宮で行うんだ。 難波宮は前期と後期がある。 奈良時代の聖武天皇が造営したのは後期だよ。 |
|
|
|
5 大津宮 | |
滋賀県大津市錦織 | |
中大兄皇子のちの第38代天智天皇は、百済が唐・新羅に滅ぼされたのを受け、「白村江の戦い」を起こします。 しかし敗れて、大津京へ遷都します。 天智天皇が崩御した後、大海人皇子が反旗を翻したのが「壬申の乱」です。 |
|
|
|
6 藤原宮 |
|
奈良県橿原市醍醐町 | |
藤原宮も二つあります。 五世紀、第19代允恭天皇の妃や弟姫(衣通郎女:そとおしのいらつめ)の為に建てました。 第41代持統天皇、文武天皇、元明天皇が政治を行った宮です。 |
|
|
|
7 平城京 |
|
奈良県橿原市醍醐町 | |
第42代文武天皇の時、遷都が審議され、 第43代元明天皇により、藤原京から遷都が実施されました。 ここが奈良時代の首都になるのです。 遷都は藤原不比等が重要な役割を果たし、「大宝律令」により中央集権の国家であった。 |
|
|
|
8 平安京 |
|
京都府京都市 | |
第50代桓武天皇により、長岡京から遷都されました。 以来、延暦13年(794)から明治2年(1869)まで、日本の首都となるのです。 |
|
|
|
9 水無瀬宮 | |
大阪府三島郡島本町広瀬3丁目10-24 | |
第82代後鳥羽上皇が御造営になられた水無瀬宮です。 往時は桜、山吹、菊の名所として知られ、上皇もたびたび行幸、歌合せ、蹴鞠、狩猟、刀剣鍛作等も行われていました。 承久3年(1221)、承久の変により、後鳥羽上皇は隠岐に遷御されました。 |