池尻城、下司城、垂井城

兵庫県小野市池尻町、市場町、垂井町

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小野市に入ってすぐの樫山町から北へと探索をしました。

2004年8月、アテネのオリンピックも終盤、暑い夏も終わりを迎えてる。 小野市の「地図と風景の宝探し」も3回目、今回は小野市の南から中心に向かって自転車で探索だよ。

 1回目 (河合城、小堀城、堀井城)
 2回目 (阿形城、来住城、岡城、赤松氏館)
 3回目 (池尻城、下司館、垂井城)
 4回目 (葉多城、敷地陣屋、鯰坂城)
 5回目 (曽我井城、八王子神社城、島村城、久保木城)
 6回目 (小田城、豊地城、屋口城)

   
「粉くい坂」

ここは小野市の一番南の樫山町、加古川沿の「樫山交差点」から東へ1kmぐらいかな。

源平合戦の時、源義経や弁慶たちは平家を討つために三草山からこの坂を通り須磨一の谷へ向かっていました。

あまりの空腹のため、この坂で出会った老女に食物を乞うと、老女は麦をいぶした「ハッタイ粉」を差し出しまた。
   
   
「亀井が淵」

上の写真の右側の水田の所だよ。

義経の家臣・亀井六郎という弓の名手が山麓めがけて矢を放つと、岩間から水が湧き出しました。

「ハッタイ粉」を食べた後、ここで水を飲んだ義経たちは、元気になって一ノ谷合戦へと向かいました。

この話は謡曲「清房」にも出てくるらしい。

そういえば、小学の頃に「ハッタイ粉」をおやつにしていたよね。
   
  
「国位田碑」

北側の小さな川を渡った集落の中、右側に公民館と薬師堂があるからすぐに分かるよ。

義経がお礼に年貢を免除した石碑で「国位 源御守護神 免租地」と書かれているよ。

難しいけど、とにかく江戸時代まで続いたそうだ。
    
    
「山ノ神社」

少し東の神戸電鉄「樫山駅」の北側まで来たよ。

神社の階段を登り、足がジンジンする線路の高架を渡ると境内には、野口雨情の「樫山の歌」(右)とこの町で生まれた上田三四二の歌碑(左)がある。

この神社は風邪をひいた人が参ると風邪が治り、そして二度とひかないらしいよ。
    
    
「藤の森」

線路に沿って23号線を北へ「市場駅」の手前だよ。 昔は「藤の木」がからみついて茂っていたらしい。

大化の改新に出てくる藤原鎌足と、社町の三草池で大蛇を退治した藤原三郎太夫を祀っている。 小さい祠だけど、すごい人物だよね。

線路は神戸までつながっている、この電車に乗れば職場の近くまで行けるんだ、なんか嬉しくなって追いかけたくなるよ。
   
   
「夜泣きの白拍子さん」

八百年前、一人の白拍子が恋する侍を訪ねてやってきました。 でも長旅で疲れ、病で倒れました。

白拍子は、恋人に会えない悲しみに泣き続け、村人たちに「親切にしていただいたお礼に、夜泣きで苦しむ子供たちを治してあげます」といって 死んでしまうのです。

地元では「夜泣きさん」と呼んでるよ。

「池尻城(いけじり)」
「市場駅」から北北東400m、遠くからでも神社が見える。

東には175号線が走っているけど、車だと23号線の「市場町」と「市場東」の中間ぐらいを南へ入る、でも必ず迷うよ。

写真の右の一段下がった所には神社、道沿いに「池尻城の碑」があるよ。
   
  
「池尻城の碑」

西側の神社に自転車を置いて、ここの右側から登ります。  比高は20mだから、あっという間に山頂に着くよ。  

天正年間(1573-92)、三木城主・別所長治の家臣の居城でしたが、三木合戦で秀吉に落とされました。
   
  
「空掘り」

たぶん二と三の郭の間だと思う。 図面を忘れたから、もう少し右手の方に各郭があったのかもしれない。

お昼も回ってお腹が空いてたから、すぐに降りてコンビ二に行くよ。
  

「下司館(げしやかた)」   
 
コンビニ探そうとしても、あっという間に下司館の横。

池尻城から23号線を挟んで西北へ500mぐらい、市場小学校がある所の南にある。

水路の右側が一段高くなって、ずーっと向こうまで続いている。 まさに館跡、よくぞ残っていたものと感動、ここに大きな家が建っていたんだね。
    
治承四年(1180)、奈良の東大寺を焼き討ちした平重衝(清盛の五男)の家臣・下司次郎太夫の館です。

四年後、この平重衝は神戸一ノ谷の合戦で源氏に生け捕られ、僧兵に引き渡されています。
   

 
「来迎寺」

市場小学校のすぐ北にあるよ。 ここも三木合戦で別所氏に味方し、秀吉の家臣・谷大膳によって焼かれました。

ここでビックリ、先週三木の大村城に行ったら谷大膳のお墓があったよ。 谷大膳はここまで来ていたのか。

入って右手の小さな祠には凝視してしまうよ。
 
 
「モチの木」

さらに北へ、ここは住吉神社。

江戸時代に小野藩主・一柳家の折願所で、また姫路藩主・小笠原忠政からも社領の寄進を受けている。

このモチの木は神社の神木で30mもあった、参道には一柳家から寄進された灯籠もある。

じっくり見たいけど、いよいよ小野の街も中心に近づいてきた。 何故か分からないけど、ドキドキする。  
 

 
「垂井城(たるい)」
 
 
住吉神社と小野駅の真ん中ぐらいの神明神社だよ。

二つある社殿は伊勢神宮と同じで、右側の内宮は鳥取藩主・松平家、左の外宮は一柳家によって建てられました。

少し慌てていたので、先を急ぐことにする。 ドキドキの鼓動は大きくなってきた
   
応仁年間(1467-69)、赤松政則に従った蓬莱若狭守の城でした。

この蓬莱若狭守は河合中町の構城や加西市の蓬莱山構も守っていました。

その後、垂井七郎重治が入り、垂井氏は二百六十年続いて垂井雅治が城主の時に三木城主・別所長治に従い、三木城に籠城して活躍したと伝わっています。

 
「小野好古館」

城跡探索を始めた頃に訪れた「館」に着いた、ここは小野藩陣屋が有るところ。 あれから2年、ここで探索自転車と記念撮影。

姫路を9時に出て今は2時、まるでオリンピック状態の給水をしたよ。

高級車にも乗ってないし、カッコいいマウンテンバイクでもない。 でもこの自転車でも「夏」に向かって走れるよ。
  

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